親の介護│子どもは犠牲になる? 自由を奪われる?

日々のあれこれ

結局、母の要望は「わがままで申し訳ないが、これから先ずっと、長時間の外出はしないでほしい」ということ。

かろうじて許せるのは、私自身の通院や、役所関連の用事のみ。

もちろん、毎日の買い出しはOKだ。

けれども、ピアノのレッスンや、コンサートに行くなど、長時間かかる用事はダメですよ、ってこと。

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さて、こういう母の話を聞いて、とっさに思ったことが、ふたつある。

ひとつめ。

うわっ! さすがにわが母よっ!

子どもが幼少のころから「過干渉の女帝」として君臨してきただけに、とうとう「私の目が黒いうちは、ぜったい外出はまかりならん」と「外出禁止令」まで発布するんかよっ?!

おいおい、こちとら、女王様の望みを叶えるべく、自分の少ない年金をほとんど献上し、行き届いた介護に日々いそしんでいるというのに。

え? なんすか? まだ足りんとっ?!

てか、「奴隷の分際で、遊びに行くな」っつーのかよっ?!




ふたつめ。

いやいや、母ちゃんはね、なにも「私の楽しみを奪いたい」わけじゃない。

むしろ、自分の世話でタイヘンだろうから、なにか気晴らしをしてほしいと思ってくれている。

なので、こんなふうに「長時間外出は止めて」となったのは、けっして私を困らせるためではない。

そうではなく、そもそもの原因は「母が、他人に対して『いいヒト』ぶって、疲れ果てるから」である。

だから、デイサービスへ行くのも、定期巡回サービスに来てもらうのも、苦痛になってしまう。

母は長年にわたって「いいヒトという演技」をしつづけてきた。

自分を完全に押し殺し、ただひたすら相手をホメたたえ、その不断の努力ののち、相手から「あなたはいいヒトね」という「ごほうび」をもらう。

この「ごほうび目的」だけで、他人と接してきたのが「母の人生」だ。

あのさ、そんなの当たり前だけど、おもしろくもなんともない。




そりゃもう、他人といたら、苦痛以外のなにものでもないよな。

そして、母ちゃん、さすがに疲れ果てたわけよ、90歳になってな。

よしよし、いままでよくがんばった。

母ちゃんよ、6歳のときに実母が家出して以来、継母をはじめとし、他人相手に、よくこれだけ名演技をこなしてきたのう。

じゃあ、そろそろ「女優」を引退しようじゃないか。

いや、引退じゃないな。

「隠遁」だな。

これまでの自分をねぎらって、ひっそりと籠っていたらいい。

もう一切、他人のゴキゲンをうかがわなくていい。

この「ふたつめ」の思いが、私にはしっくり来た。

べつに、自分が母の犠牲になろうというワケじゃない。

とりあえず、いま母が望んでいる状態を、まず作ってみようか、と積極的に思ったのだ。

そして、自分の将来については、「必要であるならば、きっと『与えられるはず』」と確信している。

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