病名が書かれた用紙を渡され、ショックでしゃべらなくなった母

日々のあれこれ

今日は、母の内科クリニック受診。

で、この内科クリニックは、これでもう最後。

母は、サ高住に入所するまえから、このクリニックに通っていた。

だから、もう5年ほどお世話になっているかね。

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ここしばらく、付き添って通院していたので、私も主治医の先生にお会いしている。

温厚なかたで、母の話をていねいに聴いてくださり、やさしく指導される。

ずっとこのままお世話になっていていいとも思うが、母は、遠すぎて疲れるという。

母がサ高住に入所していたときは、タクシーですぐ近くだった。

けれども、私と同居した現在では、ウチからクルマで35分ほどかかる。

まあ、たしかにね、もっと近いほうが私も助かるか。ラクだよね。

それで、内科クリニックを変わることにした。

つぎのクリニックは、母がスマホで探した。




私はなんやかんやヤることが山積みで、もう内科探しは、ご本人におまかせ。

クルマで10分のところで、古くからやっているクリニック。

母自身が決めたのだから、それでいいか、と私は思っているが、

母は「どんな先生なのか、ぜんぜんわからない」とものすごく心配している。

ってな不安満載状態で、とうとうこれまでの内科が、最後になってしまった。

主治医の先生は、いつもと変わらず、おだやかに診察してくださった。

しかし、血液検査の結果を示しながら、

「紹介状にも書いておきましたが、腎臓がね」とおっしゃる。

そして、先生は机の引出しから「慢性腎臓病の重症度分類」という用紙を取り出した。

ああ、うん、ソレ、私はネットで見ていて、あー、こんなトコに該当するなって、わかってたヤツ。

わかってたけど、母にはナイショにしていたヤツ。

先生は、血液検査の結果により、母が分類されるランクに〇印を付けた。

あーあ。




「水分をよくとって、塩分は控えてくださいね。

そのご年齢で、透析はありませんが」と先生。

う~ん。

じゃあ、どうなるんだろう?

でも、それを尋ねるのは、つぎのクリニックになるか。

母の様子がオカしくなったのは、その直後からだった。

ほかにもいろいろ持病を抱えている。

腎臓の値がよくないことは、10年ほどまえから言われていたらしい。

しかし、正面切って「慢性腎臓病」と告げられたのは、これがはじめて。

母は、そのショックで、ほとんどしゃべらなくなってしまった。

帰りのクルマでも、まったく口をきかない。

そして、駐車場から玄関まで、歩くのもおぼつかなくなった。




昼食も「食べたくない」という。

トイレへも、自分ひとりで行けなくなり、私が付き添い、衣服の上げ下ろしを介助する。

慢性腎臓病について、私はあるていど調べた。

きっと母も、自分でスマホを見て知っているだろう。

なまじスマホなんか、使えないほうがよかったかな。

私も、疲れた。

と痛感したので、午後はしばらく横になっていた。

父の介護をしていたときも、疲れたなあ、などと思い出す。

でもさ、「疲れる介護」をつづけるのは、イヤだね。

なんつーか、「日常に溶けこんでいる介護」とかが好ましい。

病人本人は、そりゃ、しんどいだろう。

でも、介護する側は「しんどい」とか「タイヘン」とかから、距離を取っておきたい。

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