母の入院は、まったく予想していなかったので、かなりとまどっている。
まだサ高住に入所していたころ、母は私に毎日電話をかけてきて、2~3時間話していた。
そりゃもう、私はヘトヘトだったが、母ちゃん、
「3時間なんてまだ足りない。ぜんぜん疲れないよ」とのこと。
今年7月から同居した当初も、よくしゃべるし、よく食べるし、元気いっぱい。
まあ、相変わらず、いろんなコトによく怒っていたけど、それだけエネルギーが満ちていたというか。
サ高住でいっしょだったヒトたちの話も、いろいろ聞いた。
どうも、母だけがわりと突出して、活力があったようだ。
だのに、9月中旬以降、急に食欲がなくなりはじめた。
もともと好き嫌いが多いので、むかしから「なにを食べたらいいのか、わからない」ってのは、口グセでもあった。
私と同居直後は、これまでサ高住の食事で出なかった、お寿司とか天ぷら、ケーキ、フルーツなどを、モリモリ食べていた。
しかし、何回か食べてしまうと、もう迷いが出てきた。
母が食べたいモノ、すでに食べたモノは、リストアップしており、つねに最新の分を印刷して渡してある。
だが、母はそのリストを見ても、だんだんため息をつくようになった。
まあ、そうなるだろうとは、私も予測していた。
母は「ものすごくテンションが上がるメニュー」しか、ほんとに食べたいと思えないらしい。
また、去年1月に腰椎圧迫骨折をしてから、味覚が変わった。
それまでは、おいしいと思えていた肉類、魚類を「おいしい」と感じなくなったという。
このことは、私も何十回も聞いていた。
私は、当時の主治医に相談してみることを提案したが、
「そんなヘンなことを、わざわざ言えない」と、母は遠慮してなにも言わなかった。
結局、味覚の変化について、どうすることもできなかった。
私自身は、食にほとんど関心がないので、ガソリン補給のような感覚で摂食している。
けれども、母にとって「食事は『おいしい』と実感できて、しあわせになれる」モノだ。
なので、「なにを食べても、おいしくない」 → 「食べても意味がない」 → 「もう食べない」となったようだ。
私も母に対して、なんどか、
「『食べること』によって、身体の機能が保たれるんだよ。
イヤでもがんばって食べないと、ますます歩けなくなるし、気力も湧かなくなるよ」とは話した。
でもね、あんまりクドクドは言わなくなった。
食も運動も、そりゃ理屈では大切だろうけど、やりたくなければ、無理強いしてもしゃーない。
できるだけ、母の気もちを優先した。
「もう動きたくない」と言われたら、なんでも私が代わってヤることにした。
「プリンしかいらない」と頼まれたら、プリンしか出さなかった。
私も、それで100%良いとは、思えなかった。
が、説教じみた理屈を、もうクダクダ言いたくなかった。
母は認知症ではないので、自分でちゃんと考えて、判断デキるのだ。
だったら、ヤりたいようにヤったらいいと思った。
なぜ、食べたくないのか?について、母と話し合ったことは数回ある。
あるとき、ふと母が、
「もしかしたら、私、ムクれてるのかもしれない」と言った。
「むかしは、お肉をあんなにおいしく食べられたのにって。
それが、どうしてもあきらめられなくて。
なんで、いまは、なにを食べてもおいしくないんだろうって。
それにハラを立てて、ムクれて、食べないのかな」
私「うんうん。
3年前は、まだ食べられて、まだ歩けていて」
「そうなのよ。
それがいま、ぜんぶダメになっちゃって、イイコトがなにもなくて」
そっかー、やっぱりそうか。
そういうのも、原因のひとつかもね。
で、それだけが理由じゃないだろうが、結局「母の身体」は、もう持ちこたえられなくなったようだ。
そういう現実を目の当たりにすると、私が、母に食べることを強く勧めなかったのは、いったいどうなんだろう、と複雑な思いになる。