さて、話はいよいよ本題に入る。
主治医先生「いやま、むつかしいんですけど、
むつかしいのが、鼻から管入れるっていう話、
要は鼻から管入れて、栄養摂取するにしろ、胃に穴開けて摂取するにしろ、
どちらにしても、そのう、
食事が摂れないから、胃ろうを入れますってのは、ちょっとちがうんですよ、じつは」
私「あ、そうなんですね」
先生「ええと、まあ、そういう延命治療ももちろん、世には横行しているんですけど、
それはもちろん、いろんな考えかたがあるので、正解がどうかというのはアレなんですけど、
自分でごはんを、徐々に食べれんようになってきはったヒトに対して、
胃ろうを入れるっていうのは、その、要は『完全に生かされてる状態』になるわけですよ。
だから、非常にむつかしいとこなんですよ」
「まあ、あの、御年90歳の女性のかたに、胃に穴開けて栄養摂取する。
で、それしてでも生きたいと言われているとしても、
要は、食事を摂れないヒトに対して、胃ろうを入れますっていうのは、じつは理論的じゃないんですよ、それは」
私「はあはあはあ、それは少しくわしく……
じゃ、理論的であるというのは?」
先生「いや、その、えっと、『私、ごはん食べれへんけど、生きたい』っていうのって、けっこう矛盾しているんです」
「あ、そうですね。おっしゃるとおりですね」
「でね、あのう、もちろんね、あのう、依頼があったらもちろん、胃ろうを入れる処置をして、帰ってきて、こちらで入院継続って、やるヒトはいます。
いますけれども、ええと、いわゆるそれが延命として、行なう……」
「はい」
「いわゆる、その、生き長らえさせてるだけの、機械につながれてるだけのヒトを作る装置なんですよ、その場合の胃ろうは」
「はい」
「逆に、そうじゃない胃ろうってあるんですよ」
「ああ、はいはい」
「食道がんで、がんの治療して、で、化学、放射線療法するあいだ、胃ろうから栄養摂取して安定して、
で、食道の治療が終わったら、胃ろうを閉じる処置をして、食事をはじめていくと思います。
あるいは、胃とかの病気の、そういうヒトでもいます」
「はい」
いやあ、どないだ? このお医者さん?
まあ、医師だからウンヌン以前に、
なぜ、どうして「本人や家族の意向」を尋ねないのだろう?
それに「私、ごはん食べれへんけど、生きたい」って、ソレふつうじゃん?
たしかに矛盾していると、そりゃ、私も思うよ。
でも、それが人間じゃん?
アタマとホンネが一致しないって、よくあることだよ。
なんですかね、矛盾せず理論的に考えて、
「私、ごはん食べれへんから、さよならします」って、患者に言ってほしいんかね?
ま、そうみたいだね。
あと、意外と無防備だね。
いまさ、レコーダーで録音するって、当たり前だよ。
でさ、それをこんなふうにネットで公表できるじゃん?
あたしゃ、一言一句すべて文字起こししてるけどさ。
このお医者さんの名まえだって、病院名だって、そうしたければデキる。
まあ、私は、この医師はこういう考えで、こういう行動を取るんだと思って、べつにそれはそれでかまわないよ。
なので、名まえや病院名を書くつもりはないし、たとえば、他人(ケアマネさんとか)にも、この医師について、不利になるようなことは言うつもりもない。
ただね。
2週間入院している患者を、1度しか回診しない。
そして、家族に、いきなりこういう説明をする。
私は、あきれた。
まあね、もちろんこの医師と、おなじ考えのヒトたちもいるとは思うけど。
尊厳死とか、平穏死とか、いまの風潮はそうだよね。
けれども、母と私のあいだに、これまでどういういきさつがあったのか、
ようやっと、今年の7月からいっしょに暮らして、さあ、これからというとき、
そこに「主治医の理論」なんてね、
入る余地はない。