母も私も「95歳まで生きて当たり前」と激しくカン違いしていた理由

日々のあれこれ

たいていのヒトがそうだと思うけど、まあ、自分がじっさいに見聞きする範囲で、いろいろ判断する。

母にとっては、3年間暮らしたサ高住が、いちばんなじみのある高齢者の世界だ。

もちろん、入所者の年齢は、だれもが気にするところ。

なので、1階のデイサービスの壁には、入所者の名まえと年齢が、デカデカと張り出されていた。

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母が入所していたのは、自分が87歳から89歳まで。

ところが、そのサ高住では「若輩者」だった。

というのも、みなさん、90代がほとんどで、しかもメインは95歳前後だったからだ。

ほとんどみーんなが「おねえさま」だった。

母の入所中、最高齢は100歳のNさんだった。

100歳の記念として、施設全体で盛大に祝おうということで、全員が隣県まで日帰りバスツアーをしたそうだ。




ところが、Nさんは、そのバスツアーで疲れてしまい、翌日から寝込んでしまったという。

結局、お祝いがアダとなって、とうとうNさんは姿をあらわさなくなった。

そんなこともあってか、みなさん、「百までは、生きたないわ」と言っていた。

同系列のサ高住では、106歳が最高齢だった。

ってな話を、母からよく聞かされていた。

そしたらさあ。

ふつう、「ああ、95歳はカタいな」って思うじゃん?

だって、90代がひしめき合ってたら、うん、まあ、95がひと区切りかねって。

そうなんだよ。

だから、母も私も、

「うんうん、95はだいじょうぶ。よし、100いこうぜっ、100っ!」と意気込んでいた。

なのにねえ。




90歳で、あああ、「老衰」だなんてっ!

ほんとは、ちょうど「お迎え」ですぜ、いまごろ。

ちょっと前まで、母ちゃん、

「お迎えに来てほしいヒトと、来てほしくないヒトがいる!

『おじさん』は、ぜったいイヤっ!」と言っていた。

「おじさん」というのは、母の夫だ。

私の父ちゃんだ。

じつは長年、母は夫のことを、私には「ジジイ」と呼ばわっていた。

「あのジジイのおかげで、どーたらこーたら……」と、際限なくグチをこぼしまくっていた。

だのに、「ジジイ」が「おじさん」に昇格したのは、私のせいらしい。

母ちゃん「『おじさん』は大キラいだけど、でもね、『おじさん』と結婚しなかったら、春ちゃんはいないでしょ?

あらぁ、『おじさん』って、春ちゃんのお父さんだわって気づいて。

だから、『おじさん』にも、ちょっとだけイイコトしてもらったかなって」




私は、ずっと前から父のことが大好きだった。

ただ、う~ん、じっさいに父を介護していたら、けっこうしんどい性格のヒトだった。

いまは、母を介護しているけど、いやあ、いっしょに暮らすなら、母のほうがずっといいね。

なので、母が「『おじさん』、大キラい」というのも、たしかになあ、と思う。

で、その「おじさん」は85歳で亡くなった。

それより5年も長生きしている母だったし、サ高住じゃ若すぎたし、私もついうっかりしていた。

いま母ちゃんは、「ほんとはお迎えが来るはずだったのに、『管』のおかげで生きています」という、ふしぎな時を過ごしているのだ。

アタマは、だいじょうぶ。

しかし、身体はどうだろう?

おそらく、どこもかしこも「耐用年数オーバー状態」のような気がする。

これからは、その身体の様子を注意深くうかがいながら、慎重にコトを運ばないといけないのだ。

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