90歳お母さまの胃ろう造設│後編

日々のあれこれ

こちらの病院は、外部者制限がよりいっそうきびしい。

詰所の奥が病室だが、そこから先は、家族も入れない。

しかも、面会は「すべて禁止」。ずっと禁止。

ただ、手術の前後、本人がストレッチャーで運ばれるときだけ、ほんの一瞬会えるらしい。

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す、すんげえ対策だなあ。

ウチは、とんでもなく難しい手術じゃないけど、もっとタイヘンな患者の家族は、たまったもんじゃないな。

とにかく、母ちゃんは、車椅子に乗ったまま、奥のほうに運ばれていってしまった。

で、入院荷物を、まだクルマに置いたきりだったので、私は階下に降りて、カートを借り、わりと遠い駐車場まで往復して、やっと詰所に荷物を預けた。

手術開始時刻は、まだわからない。

たぶん、前の手術が終わり次第、呼ばれるような感じだった。

看護師さんに指示された場所で、しばらくぼーっと待つ。

窓からは、私がよく知っている山が見えた。




知ってはいるけど、登りそこねた低山だ。

母も好きな山なので、教えてあげたいと思ったが、あ、そういうのもデキないんだ、とがっかりする。

なかなか呼ばれないので、また吉村昭「間宮林蔵」を読む。

あとちょっとで読み終わる。

林蔵の終焉も近い。

これが終わったら、胃ろうの本(看護の現場ですぐに役立つ 胃ろうケアのキホン)を勉強せんとな。

母ちゃんには、生き延びてもらうんだから。

んで、トイレに行きたかったのをガマンして、声がかかるのを待っていた。

しかし「決壊寸前」になってきたので、よし、行っちゃおうとウロウロしていたら、担当の看護師さんがすっ飛んできた。

看護師さん「すみません、すみません、ついさっきお母さまは、もう手術に行かれました」

え? そうなん?

若い看護師さんは、気の毒なほど平身低頭あやまっていた。




「いやいや、いいですよ」と私。

きっと、手術室から連絡があって、大急ぎで運んだにちがいない。

それでなくても、胃ろう造設を頼んでしまった負い目があるので、もう、ちっともかまわない。

ただ、手術から戻ってくるときには、見逃さないように、私は、エレベーター前のイスに座って待つことにした。

相変わらず「間宮林蔵」なんだけど、さすがに落ち着かねえ。

母ちゃん、かわいそうにな、いろんな注射も痛いだろうし、また鼻からカメラ入るし、点滴もするだろうし。

けれども、あと少しで「胃袋ピアス」を作ってもらえる。

がんばれ!

母が搬出されたのは、午前11時45分だったとのこと。

内視鏡手術そのものは15~30分で終わるらしい。

その前後の処置もふくめて、1時間もかからないと聞いていた。




12時25分、さきほどの看護師さんがやってきて、

「もう終わるそうです。ごいっしょに下まで行きますか?」と言ってくれた。

そりゃありがたい。

私は、看護師さんといっしょに、内視鏡検査室のある階まで降りて、そこで待つ。

「もう終わる」ということは、そうか、無事胃ろう造設ができたんだな。

つまり、胃袋のなかには、がんも潰瘍もなかったんだ。

12時33分、母を乗せたストレッチャーが運び出されてきた。

母は、精根尽き果てた様子で、目を閉じてぐったりしていた。

しかし、私が「母ちゃん、よくがんばったね」と声をかけると、

ぱっちり目を開き、「ありがとう」と答える。

そして「痛かった」と言う。

「そうか……、痛かったの?」




母「痛かった」

そう言いながら、私の手をぎゅっとつかんで離さない。

そのあいだも、ストレッチャーを看護師さんが移動させている。

大きく目を見開いて、「痛かった」と「ありがとう」を繰り返す母。

看護師さんは「鎮静剤を入れているんですけどね」と言った。

あっという間に、病棟の階に着いてしまい、しかたなく手を離す。

ストレッチャーで奥へ運ばれながらも、母は力なく手を振っていた。

「ありがとう、ありがとう」とお礼を言う母が、ふびんに思えてしかたがなかった。

手術の翌日、つまり今日になって、昼すぎ、見慣れない番号から電話がかかってきた。

どうしよう、出ようか?と迷っているうちに、電話が切れた。

番号をネットで検索しても、悪い情報はない。




数分後、またその番号からかかってきて、こんどは出てみたら、

うわっ、手術をした先生からだった。

「胃ろう、作成できています。明日は転院と聞いておられますね。

抜糸はどこでもできますから」

私はへどもどして「はいっ、はいっ」と返事をするのがせいいっぱい。

夕方には、師長さんからも電話があった。

退院について、こまごました手続きをていねいに教えていただいた。

また、母の状態も良く、「自家用車で帰ることができますよ」とのこと。

ふう、よかったあ~

痛がっていたから、どうなっているか心配だったが、たぶんだいじょうぶそうだ。

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