母と同居したら、思いがけない「幸福」が降って湧いてきた

日々のあれこれ

趣味は、そんなに多くない。

ただ、わりとのめり込むタチなので、少ない趣味で間に合っている。

過去にいっちゃん入れ込んだ趣味は、山登り。

30代から40代、正味9年間のうちに、延べ600山は登った。

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読書も好きだったが、「山」でいつも焦点が合わない目つきをしていたころは、

見るもの読むものは、地図とガイドブックだけになっていた。

ふつうは、そこまで重症化すると、一生「山ヤ」で終わるらしい。

なのに、私の場合、とちゅうからピアノが気になり出した。

子どものころに習っていたから、再開組なわけだが、まあ、電子ピアノを買って、ポッツンポッツン弾いていた。

ちゃんと先生について、レッスンを受けはじめたのが、2019年、57歳のとき。

先生はユーチューブに演奏をアップされていて、私は、その演奏があまりにすばらしかったので、レッスンをお願いしたら、引き受けてくださった。

じっさいにレッスンを受けたら、間近で聴く演奏もご指導も、呆然とするほどすごかった。

なので、そこそこ練習をするようにはなった。

けれども、ほんま「そこそこ」だった。

山登りのように「底が抜けるほど」、練習しなかった。

その理由はあきらかで、つまり「山」のレベルまで、ピアノにのめり込んでいなかったからだ。




ピアノはまだ「2番目」だった。

あくまで、不動の1位は「山」だった。

自分としては、できればピアノを第1位にもっていきたかったが、まあ、「好きの順番」って、意志の力でどうこうできない。

だのにねえ。

いま現在、とうとうピアノが「第1位」になってしまった。

私の毎日は、「弾く、聴く、読む」の三拍子で埋め尽くされている。

もう「山」は、お払い箱。

あってもなくても、どっちでもいい存在に成り下がってしまった。

なぜ、こうなってしまったのか?

きっかけというか、遠因というか、それもあきらかで、母と同居してから、こうなってしまった。

もっと正確に言うと、「母に対するわだかまり」が消えてなくなったら、こうなったのだ。

具体的には、母の瞳を見ていて、ああ、きれいだなあ、とか、

母が、なにかをことばにしようと、考えているときの様子が、好ましいなあ、とか、

母が、眠っているときの姿が、いとおしいなあ、とか。




そういう感情を味わっているうちに、どういうわけか、ピアノを弾きたい思いが募ってきたのだ。

同時に、「聴く」と「読む」も急上昇した。

まあ、「聴く」はピアノと連動しているから、うなずける。

けど、意外にも「読む」、それも「小説を読むこと」がやにわに噴出してきて、これはこれでうれしい。

いまは、吉村昭にどハマり中だが、ぜんぶ読みつくしたら、たぶん他の作家もイケそうな予感。

むさぼるように、なめまわすように、自分が小説を読むなんて、まったく考えたこともなかった。

だから、いまはまだ、「新しい自分」にとまどっている。

とまどいつつも、「弾く、聴く、読む」のどれもがおもしろすぎて、笑いがこみ上げてくる。

「山」ではねえ、「あの透明な美酒のような幸福」(尾崎喜八│詩人)を、いつも全身に浴びていた。

けれども、ピアノを弾いても、音楽を聴いても、小説を読んでも、へええ、酔いしれることができるんだね。

ありがとう、母ちゃん。

私はいま、こんなにしあわせだよ。

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