愚かだった私│老いておとろえていくのは、ごく「自然」なこと

日々のあれこれ

なにかの拍子で、母が骨折したとしても、ようやく怖くなくなった。

そしたら、少なくとも「私は」とてもラクになった。

考えてみたら、母の身の上がどうなるか?なんて、だれにもわからないのに、

いったいなにを心配していたんだろう。

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去年、母の食欲がなくなって、ほとんど食べられなくなり、

入院したとたんに「はい、点滴で余命1ヵ月」と言われた。

そりゃ困る!と、母自身が望んだので、延命治療を開始。

1月には、胃ろうの手術もした。

母本人が「胃ろうにしてよかった」と言っているので、これで母の希望どおりとなった。

もちろん私も、胃ろうだったら在宅でじゅうぶんケアできるので、とても助かる。

ネットでもよく見かけるけど、胃ろうでいちばんラクになるのは、やっぱり家族らしい。

食が細くなった高齢者のために、ふつうの食事を工夫するにも限界がある。

誤嚥の危険も増えてくるし、なにせ食事の介助がタイヘンとのこと。




その点、ウチの母は、まだふつうに薬は飲み込めるし、ほんと余裕があるうちに、

胃ろうにしてくれて、栄養の面ではほとんど心配しないでいい。

でもまあ、いちおう「老衰」と盛んに言われたからね。

老衰なんだから、もう、ウチに連れて帰ってくださいって。

なので、いまの状態は、いや、すいませんねえ、ムリヤリ寿命延ばしてすいません、ごめんなさい状態。

だれに謝っているかというと、ま、尊厳死言うてるヒトとか、健康保険とか介護保険とか、なんか肩身が狭い。

できるだけひっそり生きていこうと思うが、このまま順調にずーっと元気とはかぎらない。

シルバーカーで歩けるまで回復したのはスゴいけど、かわいそうだが、若返ったんじゃない。

たぶん「人工栄養」のおかげで、少し体力がついて、足腰が動くようになったのかもしれない。

短い面会時間だけで、ほんとの具合はよくわからないが、

私の印象では、半年前にくらべて、相当変わってしまっている。

転倒骨折を怖れていたけれど、それだけではないでしょ。




いろんな臓器だとか機能だとかが、やっぱり年齢にふさわしくおとろえていく。

それが、ごく自然なんだね。

だから、転ぶのも「自然の摂理」。

転んで骨折するのも「自然の摂理」。

なにやかや、病気の症状があらわれるのも「自然の摂理」。

今回の入院では、その「自然の摂理」に逆らって、ジタバタしてしまった。

けれども、これからは「母の身体」に、「どうしたいの?」と尋ねてみようか。

そして、「母の意思」を大事にする。

もう私も、このさきなにが起こっても、ああ、自然の摂理だな、と思うことにした。

なので、母が「こうしたい、ああしたい」と言えば、そのとおりに従うつもりだ。

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