去年7月から母と同居することになった。
で、それから約8ヵ月になるけれど、実質の同居期間は5ヵ月間で、
あとの3ヵ月間は入院している。むう。
まさかこんなことになるとは、まったく予想していなかった。
サ高住のおばあさま方のように、母もなにごともなく順調に、90代をのびのび過ごし、
きっと余裕で百歳を超えると、根拠もなく信じきっていた。
いま思うと、一昨年の1月、腰の骨を圧迫骨折してから、「老い」が加速したようだ。
いや、本格的に「老い」が進んだから、まず圧迫骨折というカタチであらわれたのか。
同居してからは、4回転倒している。
運よくまだ骨折はしていない。
母は、車椅子を使いたくないので、いまもたぶん病院でリハビリをがんばっているだろう。
なので、ウチにもどってからも、きっとシルバーカーでトイレに行くはず。
私はもう、心配しないことにした。
自宅に帰ったら、もしかするとリハビリの意欲がなくなるかもしれない。
それも、やりたくないなら、やらないでいいと思う。
その結果、もし転倒骨折しても、ああ、そういうフェーズなんだね、と感じるだけ。
ぜんぶ母の希望どおり、おまかせすることにした。
結局、私が「母を心配する」ってのは、
「おせっかい、ヒマ、コントロール願望」に過ぎないと、すんごくよくわかってきた。
私は、母のことが好きなので、これからもずっとかまけると思う。
でも、「母自身が私に頼んだこと」だけをやろう。
そうこうしているうちに、たぶん身体のあちこちに不具合が発生するだろう。
気の毒だが、しかたがない。
そのたびに痛みやつらさを味わうことになるが、延命治療を望んだのは、母本人だ。
もしかすると、将来、たとえば大腿骨頚部骨折とかで、また入院するかもしれない。
あまりにもしんどいことばかりがつづいたら、さすがに母の気もちもゆらぐかな。
しかし私は、とくだんなにもしないで、ただ母のそばにいて、なるべく笑顔でいよう。
残りの人生を見守るだけ。
母には申し訳ないが、なるほど、ヒトはこんなふうに老いていくのか、と感慨深い。
自分もおなじ道をたどるんだね。
だとしたら、いままでよりもっと、ピアノに注力しよう。
とくにバッハを。
まあ、いまもハノン、ベレンス練習曲、バッハ│フランス組曲しか練習していないけど。
バッハのために、ハノンと練習曲やってるなあ。
フランス組曲、これまでに4つ終わったが、ときどき楽譜めくっては、
あ、これ、いまだったらこんなふうに弾くのに、とよく思う。
だいたい以前は、てか、いまもだけど、どの音も重苦しく野暮ったく、ベターッと一本調子で弾いていた。
そういう弾きかたで、自分がイヤな気分にならなかったのが、アホすぎるな。
いまは、さすがにゲンナリして、「弱音を出したい!」と血道を上げている。
どこまで弱音を出せるか、その練習のために、ハノンと練習曲やっている。
ああ、10段階ぐらい強弱をコントロールできたらなあ。
10種類ぐらい音色を変えられたらなあ。
そう、コントロールすべきは、オノレの指で、けっして母ちゃんではないのだ。