そういえば、あんなに痛がっていた歯はどうなったのか?
コロナ帰りの看護師さんに訊いてみた。
「あのー、母から『歯が痛くてたまらない』という手紙をもらいまして。
病院からも電話をいただいて、訪問歯科診療を受けるらしい、とのことで」
看護師さん「さあ、私がいないときなので、歯のことはわかりませんね」
「痛そうにしていますか?」
「さあ……?」
「はい、わかりました、けっこうですよ」
とくだん母がなにも言っていないということは、もう訪問歯科で治療を受けたのか、
もしかすると、しぜんに収まったのか、どっちかだな。
看護師さんもお忙しいだろうから、私はすぐに話を切り上げた。
なんだか、母のことがあまり気にならなくなってきた。
いまは、歯が悪くなっているが、早晩、いろんなところにガタが来そうだ。
その都度、痛みやら入院やらで、つらい思いをするだろう。
いまごろになって私は、主治医先生が、あれほど延命治療に反対していた理由がわかってきた。
当たり前だが、お医者さんなんだから、ムリヤリ延命したあとの「なれの果て」が読めるんだよ。
だから「食べられないんだったら、もうウチに連れて帰ってください」なんだよね。
私も母も、「瀬戸際」が初体験だったんで、びっくらこいたけど。
去年の年末で、もうお迎えが来るのーって、冗談じゃないって騒いでさ。
ま、過去をどうこう言ってもしようがない。
いま現在は、人工栄養を摂れたおかげで、寝たきりだったのが、シルバーカーで歩けるまで回復した。
さて、これからどうなるかね。
ちなみに、ケアマネさんは、
「胃ろうにしたあと、2割は口から食べられるようになりますが、残念ながら、残りのひとはそのままです」と言われていた。
それ聞いたとき、え、2割はすごく多いなと思った。
単にイメージでは、ほぼ全員そのままかと、私は思っていたのだ。
でも、母はあまり期待できないなあ。
もともと、すぐに食べられなくなるタチなんだよ。
うんと若いころでも、ちょっとなにかあると、シューンと食欲が失せてしまう。
好き嫌いが多いので、食べられる品目も限られている。
なので、以前から、どうやったら母が食べたくなるか、非常に悩んできたけど、もう胃ろうだもんね。
私自身も「食」の関心がうすいので、人工栄養注入でじゅうぶんOK、完全栄養いいんじゃない。
「食べる楽しみ」より「食べもの準備にかける手間暇」がしんどすぎた。
胃ろうだったら、ふつうの食べもの用意するより、ずっとラク、超ラクチン。
さきのことはわからないが、どうだろう、母の人生はもう終盤に入ったんだろうか。
けどね。
このごろよく思うが、私にデキることはなにもないなって。
痛いこともツラいことも、代わってあげられないんで。
ソレがよーくわかってきたら、母がしんどい目に遭っても、あ、べつに自分は痛くもカユくもないやって。
結局、母のことは母にしかわからないので、私はなにも介入せんでええな、とわかった。
母に頼まれたことは、笑顔でやればいい。
だけど、ソレ以外のこと、たとえば痛そうだとか、つまらなさそうだとか、それは関係ない。
痛みを取るのは、お医者の仕事。
だから、歯のことも放っておくことにした。
てか、もう忘れかけていたよ。