90歳ともなれば、長期の入院で一気に認知症が進むこともめずらしくない。
病院のスタッフさんはみんな忙しいし、患者ひとりひとりとゆっくり話をする余裕はなし。
必然的に、ベッドで寝たきりで放っておかれて、会話する機会もなくなってしまう。
ヒトと話すこともなかったら、そりゃまあ、認知症も進むし気分も滅入るかも。
母も、退院してしばらくは、疲れ切った様子で、よく茫洋とした表情で視線が定まらないことがあった。
けれども、私とあれこれ話すうちに、次第に母らしい闊達さが戻ってきた。
じきに、大きな笑い声を上げるようにもなったし、少々込み入った話も、以前とおなじくふつうにデキるようになった。
へええ、会話って大事なんだな。
ふと思いついて、私は母にこう訊いてみた。
「ココの住所さ、わかる? 覚えている?」
いまの賃貸マンションは、去年7月に引っ越してきた。
もう書類関連は、私がすべてやっていたし、母は住所を書いたことがない。
去年の夏ごろは、自分宛の郵便物を開けたりしていたが、それも私に任せるようになった。
当然、住所なんか、もう母は覚えていないはず。
ところが、だ。
母「○○市○○区〇〇」まで、まず一気に答えた。
でも、そのあとが続かない。そりゃそうだ。
私「区のつぎが出てきたのが、スゴいね! そのあとはね……」
「いや、思い出すわ。ちょっと待って」と長考に入る母。
なんとか思い出そうと、宙をニラみつけているのがおもしろい。
しかし、5分ほどたって、
「わかった! 〇〇〇町〇番地 〇〇〇〇マンション〇〇〇号室!」と言い当てた。
ほう、たいしたもんだ。
たぶん、引っ越し後、いちどはちゃんと記憶しようと努めたんだろう。
覚えた情報に、こんなふうにアクセスできるのが、うわ、スゴいもんだね、いくつになっても。
もともと「記憶するのが好きなタチ」だから、そういう得意なことは衰えない。
で、つくづく思ったんだよ。
●認知機能は正常だが、身体が衰えている要介護4。
●バリバリ認知症で意思疎通困難だが、身体はまだイケる要介護4
さあ、どっちの介護がラクチンかな?
私はね、アタマがふつうで、ちゃんと会話できるほうがいい。
身体の衰えに対しては、ケアマネさんとかの力を借りて、いろいろ対策できる。
でも、認知症はどうなんだろう?
クスリとかで治るのか?
どうやらまだそういう具合にはいかなさそうだ。
亡父も要介護4だったが、認知症もはじまっていたので、いろんな事情を説明しても、話が通じなくて苦労した。
母ちゃん、そういうことはぜんぜんなくて助かる。
むかしの話も楽しいし、いまの話もおもしろいし、本や音楽のことも話題にできる。
ほんとうにありがたいことですな。