私にとっての「成功」|遠方の心理学セミナー その15

すべてにおいて「なぜその行動をするのか?」という動機が必ずある。まあ、そんなことは最近になって関心が増してきて、かなり意識するようになったわけで、ずっと以前はそういう動機など一切考えることなく、ただガムシャラに行動していただけだ。

で、結論として、以前の私は「他人軸」であったから「だれかに認められたい、だれかにスゴいと言ってもらいたい、だれかにいい人と思われたい」という思いが原動力だった。「劣等感が原動力」とも言える。劣等感がこじれると嫉妬や復讐になるから「あんなヤツに負けたくない、腹が立つから仕返ししてやりたい」という原動力も強烈に稼働していた。

自己攻撃もヒドかったので、自分が苦労する境遇に好きこのんで身を投じていた。だれに頼まれたわけでもないのに、ホントわざわざ苦労したり、自分を痛めつけたりして、それなのに「周りのヤツラが私を苦しめる」と誤解していた。すべては自作自演なのにね。

しかし、いまは「自分軸」に戻ることができた。もう「ヒトからどう思われるか」ということから解放されたのだ。そこは、比較も競争もないじつに平穏で安らかな世界なんだが、他人軸時代が長すぎたのでまだまだなじめない。私のこれまでの55年間はいったいなんだったんだろう?という虚しさもある。

だから、次のイメージワーク「才能や豊かさ、ヴィジョン、成功のエネルギーを受け取る」に入るときも、特段何も期待していなかった。なぜなら、もう私はすべてのやる気を失っていてどうしたらいいのかがまったくわからなかったからだ。

目を閉じて、カウンセラー先生の誘導に従って、ぼけ~っと目の前に浮かぶイメージをながめていた。すると、薄暗い森のなかを進むような光景が現われてきた。静まり返った森のなかは、空気がひんやりしており、ところどころ木漏れ日が差していて美しい。

そして、先生が「前のほうに光が差し込んできます。そして、その光はどんどん明るさを増していきます」と言われると、そのコトバ通りに、森の前方の開けた箇所に光が集中して輝きはじめた。私は、そんな幻影が目の前に見えることに驚愕して怖ろしくなってきた。

目がくらむような光に圧倒されていると、続いて先生が「その光のなかに、あなたを迎えてくれるひとが立っています。すでに成功しているそのひとが迎えてくれます。さあ、だれが見えますか?」と言われた。

見ると、光のなかから徐々に姿を現わしたのは、ピアニストのB氏だった!

ああ、そんなことがあっていいのだろうか……! あまりにも予想外の展開に、私はなにも考えられなくなってしまった。このひとが私を迎えてくれるというのか? そんな畏れ多いことがあっていいのだろうか? しかし、私の混乱などまったく意に介さない様子で、B氏は笑顔を浮かべ、あの手を差し伸べ、そしてこう言った。「よく来たね、待っていたよ」

私はもうなにひとつ考えられず、ただ茫然とB氏を見つめているだけだった。とそのとき、B氏のそばにもうひとり、だれかが見えてきた。それは亡き父だった! 父もまた笑顔だった。ああ、父ちゃん、そんなところにいたの! 私は父に会えたうれしさに感極まって涙がこぼれた。

光につつまれているふたりの幻影をぼーっと眺めているうちに、至福の喜びとも言える感情が湧いてきた。ああ、そうなのか、そういうことなのか、私にとっての「成功」とはやはりそういうことなのか。

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