ぜんぜん浮上できないねえ。
気分が落ちすぎて、ほんとつらい。
たぶん、そういう時期なんだと思うけど、動けなくてヤバい。
ピアノも少しだけで。2時間ちょいか。
もっと磨きたいなーというところも、時間をかけて練習できない。
あまりにしんどいから、昼寝してみたものの、やっぱりヘンな夢みるし。
呪われてるな。
▼そう、ココのところ、呪いをかけられてるんだよ。
だって、彼女はさ、「高いところのシ♭」に行きたいのに、なっかなか行けない。
「シ♭」をいちばん言いたいのに、言えない。
すいません、画像の加工もめんどーで、印も付けてなくて。
↑11小節、3拍目の「シ♭」だよ。
「シ♭」を言いたいのに言えなくて、さいしょのころから、ずーっとモンモンしている。
↑ちょっと「ミ♭」に上がっても、ズルズルーっと落ちてくる。
「レ」に上がっても「ファ」に上がっても、「ミ♭」にまた上がっても、ずるずるーっと落ちる。
そのあとも、もうちょいで「シ♭」に行けそうなのに行けない。
そして、とちゅうで呪いにかけられちゃう。
でも!
左手「ぶん、ちゃ、ちゃ、ちゃ」のところで、妖精があらわれて、彼女を救ってくれるんだよね。
なので、左手フォルテの「ぶん」のところは、妖精が出てきたチャイムみたいな感じで。
そしたら、呪いが解けて、彼女はようやく、朗々と「シ♭」を歌えるんだ。
そんなにも、「シ♭」を言いたかったんだねえ。(感涙)
そのあと、もういちど「シ♭」を歌っているけど、こんどはひっそりささやき声だもんねえ。
というわけで、この曲は「言うに言えない『シ♭』を言うまでに、ためらったり悶々したり、切ない思いをしていて、しかも呪いをかけられ封じ込まれそうになったのに、妖精に助けられて、ようやく『シ♭』を言えました」という曲。(ほんま?)
「シ♭」に行きたいのに、なんべんも、ずるずるダダ下がりのところが、いまの自分に重なってて、なんか笑える。
ああ、しんど。
ちなみに、この曲、バッハほど「物語」が出てこなくて、う~ん、どうしようか?と思っていた。
てか、バッハの物語は、丸々先生のお話のまんまで。
それ以上すごいのなんか、自力で出ない出ない。
で、モーツァルト。
そしたら、こないだのレッスンで、先生のお手本演奏が、▼9小節からのところ、
ものすごく「かわいい」のよね。
ほんと、え?!ってびっくりするほど、かわいらしい音で。
で、あとあと、なんであんなに、あそこはかわいいんだろう?って考えていたら、ああそうか、登場人物がまったくちがうんだ。
あ、そうそう、妖精が出てきたんだ、と腑に落ちた。
そしたら、その妖精が出てくる直前は、「呪い」にかけられてるし。
そのうち、ああそうだ、この主人公は、そもそも「シ♭」に行きたいんだなって、ぜんぶうまくつながった。
旋律ごとに、「登場人物がちがう」というのは、前々回のレッスン、バッハで教わったなあ。
あれ?
そういうの、なんかどっかで、読んだような気がうっすらと。
はあ、また索引のない本をがんばってめくる。
あ、あった。
――ハイドンのような器楽的な作曲家に対して、モーツァルトの音楽は声楽的なものや、声を隠喩的に表現したものが多いのではないでしょうか?
いつでも誰かが歌っている感じ。ええ、あるいは舞台上で演じられている人物の存在がつねに感じられます。
出典 対話録「さすらい人」ブレンデル│p.121
彼はつねに人を観察していたようで、子供の頃から人の感情や反応をアリアの形で好んで即興で表現していました。
出典 対話録「さすらい人」ブレンデル│p.113
はあ、ふう。
こうやって、見つけたときにブログに書いておくといいね。
で、やっぱりモーツァルトは、「どんな人物が歌っているか?」ということから、物語を描くといいんだね。
ふう。
寝よう。