グーグルカレンダーで「時間割」作ったら、ピアノの練習 4時間をあっさり確保できるようになった。
30分単位で、ピアノ → 雑用 → ピアノ → 雑用、と回すのが、うまくハマッた感じ。
ただ、雑用には「ネットでの小銭集め」が含まれていて、これがけっこう負担。
まあ、パート行くよりはるかにラクだけど、なにかしらゴソゴソやらないと、小銭すら入ってこないわけで。
どうしてもイヤになったら、小銭集めも止めていいけどね。
もともとエエ加減なんだが、このところ、ますますユルんできて、やりたくないことはいっさいやらんぞ、と開き直ってきた。
へらへらピアノだけ弾いて暮らそう。
ピアノは、いつもおもしろいことが降ってくる。
これまでずっと、「練習やったら → やった分だけマシになる」という鉄則があった。
しかし、その鉄則は、昨日のレッスンでくつがえってしまった。
みっちり練習しているにもかかわらず、モーツァルトソナタが「先週よりもヘタクソ」になっていたのだ。
ふふん、そう来たのかよ?
おもしれーじゃん、あ?
いや、じっさいのレッスンでは、先生に「事実」を伝えられて、シュンとなっちまって、おもしろくねーって思いながら弾きなおしたら、先生いわく「ちっともおもしろくない演奏ですね」
まんまですやん。
そうだよねえ、ぜんぶ「音」に出ちゃうからねえ、だから、おもしろいんだけどねえ。
で、「なぜ、モーツァルトがそんなにヘタクソなのか?」を、レッスン中も、帰りもずっと考えていたけど、やっぱり「左手がデカすぎるから」だよね、まず。
それ、ずーっと指摘されつづけているけど、なぜかわかっていなかった。あほ。
がさつに無神経に、左手を出しゃばらせているから、いつまでたっても良くならない。
そいで、ようやく殊勝に「片手練習」をやりはじめた。いまごろ。
・ほぼ8小節ごとに分ける。(これはいつもやってる)
・右手をゆっくり練習。必要なら部分練習も入れる。
・左手も同様。
・「右手+左手」セットを10回。
・両手でゆっくり10回。必要に応じて部分練習。
というのを、ちまちまやっていたら、3時間20分たってもぜんぶ終わらなかった。
40分はハノン+ツェルニーに充てているから、残り3時間20分で終了。
しかし、ひじょうに意外なことに「片手練習」がものすごく楽しかったのだ。
とくに左手が。
もう暗譜でずっと弾いているこの時期に、片手練習なんてやったことないけど、やってみたら「左手の響き」がとてもきれいで感動してしまった。
ああ、この音の並びは、ぜったいこうでなくちゃ。
だから、こんなにきれいなんだって、しみじみ思った。
けれども、いまさらそんなことに気づくというのは、要するに「これまで、ぜんぜん左手の音を聴いていなかった」からだ。
うん、そう。
とりあえず両手で「音を出してはいた」が、「聴いていなかった」。ほんとに。
だって、左手だけって、暗譜で弾けなかったよ。やっばーい。
てか、そんなふうに「いちおう鍵盤押してるだけ」の音なんて、そりゃきちゃないわ。ヒドすぎ。
なので、「左手がデカい」というのは、ほんとのところ、「左手を演奏する気が、そもそもぜんぜんない」という意味だとわかった。
けれども、救いは、こうやって左手だけ弾いてみたら、すっごくおもしろかったことだ。
片手練習って、「両手に備えて、しかたなくやる練習」じゃなかった。
片手だけで、じゅうぶん楽しい。うつくしい。
それはちょうど、合唱で、自分のパートだけ歌うのが楽しいのとおんなじだった。
とくに左手は「主役を引き立てるために、ひっそり見守る」かのような、健気でひたむきな音の並びだ。
ああ、貴方(左手)が支えてくれるから、あたし(右手)はこうしていられるのね、っていまごろわかった。すいません。
そっかー、この時代の音楽って、「こういう伴奏」があってこそ、きれいなんだなあ。
そのうつくしさをちゃんと表現するためには、「伴奏を伴奏らしく控えめにする」のが当たり前なんだ。
というようなことが、生まれてはじめてわかったので、左手をうんと小さくきれいに弾けるようにしたい。
それがまた、むずかしいんだけどね。
けどなあ、「伴奏を小さく」なんて、いまごろわかったってのも大ショック。
自分、何年ピアノ弾いとるん?