61歳の直前にようやく親離れをした結果

心理学っぽいあれこれ

ブログを長期休止していた間に、私は人生でもっとも大きな出来事を経験した。

それは「親離れ」である。

そうなんすよ、やっとようやく「親離れ」完了。ふう。

で、それね、1ヵ月ぐらい前に完了したわけ。

そいで、そのあとすぐ61歳になったのさ。

お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!

にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 一人暮らしへ にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ

ふつう「親離れ」は思春期に完了するわけで、あれれ?

まあ、これが私のペースであって、もうどうするわけにもいかないが、なんにせよ、親から離れて「ひとりで生きていこう」と思えるようになった。

この「親」といっても、リアル親のことではなく、「私のココロの中にいる親」ね。

子どものときからずっと引きずってきた「親像」って感じね。

いわば、その「親像」にずっと支配されて、自分じゃないような違和感をずーっと覚えていた。

だけど、いろいろあって、そりゃもういろいろあったのち、やっと「親離れ」できたの。

それ、どういう基準で「親離れ完了」ってハンコをもらえるかというと、じつは「親に感謝できた」というのがゴールなのだ。

親に対して、ああもう感謝しかない、私の親でいてくれてなんとありがたいことか!と思えるかどうか。




う~ん、それね、父に対しては「父ちゃん、神サマかよっ?!」っちゅーほどの域に達した。

しかし、母に対してはそういう感じではなく、すごく深いところに潜む「憐み」のような感情だった。

そう、父と母とでは、違いもあって、それに母に対するそういう思いは、父よりもずっと後に出てきた。

「親離れ」できたら、どうなったか?

親離れをした今、心に浮かぶのは「私は、この世に一時的に存在しているんだな」ということだ。

その「一時的」であるがゆえに、人に対して一期一会の感覚が強くなり、なんというか、一瞬一瞬を慈しむような思いが、ふっとよぎるようになった。

つまりね、「さあ!思春期おしまい。青春を楽しもうぜっ!」と思ったのに、「ええっ?もう終活?!」みたいなオチでございます。

同じカテゴリーの、前回はこちら
さあて、そろそろブログはやめようかな?│「ざるそば事件」の結果、こうなった
私がブログをやっている理由は、ふたつある。 その1:自己顕示欲を満たすため。 その2:広告収入等を得るため。 これだけ。 そもそも、文章を書くのが好きじゃない。 好きでもないのに、ブログをやっているのは、上の理...
タイトルとURLをコピーしました