叔父さんは、私たち姉妹が母のことを放ったらかしにしていることを、まったく何ひとつ責めなかった。
それどころか、叔父さんは私たちの母に会ったとき、こんなふうに話してくれたという。
「お義姉ちゃん、『春子が急におらんようになった』言うてるけど、なんかあったんちゃうか?
お義姉ちゃんがなんもしとらんのに、子どもがみんな寄り付けへんっておかしない?
なあ、なんかあったやろ?」
叔父さんは「まあ、僕がそう言うても、お義姉ちゃんは『なんも思い当たらん』言うて、クビ振ってたけど」と、顔をクシャクシャにして笑った。
私は、叔父さんの屈託のない笑顔に救われた。
そして、ついウカウカと「うん、そのとおり、私は悪うないわ。悪いのは母ちゃんやわ」とうなずきたくなった。
叔父さんは、つづけてこう話した。
「だから、僕はお義姉ちゃんに言うたんや。
『子どもに来て欲しかったら、まずお義姉ちゃんが変わらなあかんで。
それな、「依正不二(えしょうふに)」って言うんや。
自分が変わったら、相手も変わる』」
私も妹も「依正不二(えしょうふに)」ということばは、はじめて聞いた。
叔父さん夫婦は、ある宗教を信仰しているので、その関係のことばだろう。
すると、叔母さんが「稲穂がアタマを垂れたら、その『影』も下に垂れるでしょう? そんな感じのことですよ」と控えめに教えてくれた。
あ……そっかー、たぶん心理学でいう「投影」に近いかなあ、と私は思った。
依正不二(えしょうふに)
「依正不二」というのは、自分の周りの人たちとの関係(依報)と、自分の持っている身体や心(正報)が、相互に影響しあっているっていうことだよ。
人間関係は、自分が過去にどんな行動をしたかによって形成されているし、身体や心もそうだよ。
だから、人間関係を改善すると、身体や心も改善されるし、身体や心を改善すると、人間関係も改善されるんだよ。
※BingAIに「高校生にわかるように説明して」と頼んだ回答
しかし!
私はギクリとした。
だって、さっき「ほうら、母が悪いじゃん」と感じたのだが、ソレって「私のなかにある要素」が「母のなか」に映し出されているんじゃないかっ?!
そう、そうだ、そうだよ!
だから、母が悪いんじゃない。
私自身が「自分のなかで、自己嫌悪しているホニャララ」が、母のなかに見えてしまって、それで「母を悪者」にしたがっている。
「意地でもアタマなんか下げるもんか!」をやっているのは、じつは私じゃないか?!
●本日のネットビジネス準備:2時間09分
●本日のピアノ練習:1時間55分