母は、ようやく子どもからの電話だとわかるやいなや、それこそ堰を切ったかのように、つぎつぎと話しはじめた。
さっき夕方もかけてくれたんでしょう?
ごめんね、ハミガキしてたから、出られなかったのよ。
携帯電話、やめたの。充電とかタイヘンで。
スマホも試してみたのよ。でもやめたの。高いし充電がしんどいし。
夕方の電話、ぜんぜん知らない番号で、だれだろう?ってすごくふしぎで。
もう、私が口をはさむスキもなく、話しつづける母の声を聞いていると、ああ、これまでずーっと、どんなにか、子どもと話したかったのか、胸が締め付けられるような思いがした。
すると、母がこう続けた。
「毎日、何のために生きているんだろう?って……
子どもに会えないのが、いちばん辛くて……
だから、方法、考えてたの」
え……
「いろいろ、方法考えてたけど、ダメなの。
どんな方法でも、ひとに迷惑かけるなって、わかって。
だから、それが歯止めになったの」
…………
「それに、自分でもなんとなくわかるけど、まだあと1、2年寿命は尽きそうもないし。
しかたないな、生きるしかしょうがないな。
でもね、電話番号は控えてあるのよ、そういう相談できる番号、あるでしょ」
これには、さすがの私も参った。
うわ、これは「逃げる」しかできないな。
すみません、私はいったん「思考停止」です。
そして、とにかくまず、母が言いたいことを傾聴しようと努める。
母の話は、ややあちこちに脱線しつつも、とてもわかりやすく理路整然とつづいた。
その話しぶりは、7年前とほとんど変わらず、少なくとも認知の衰えはまったくうかがえなかった。
あまりに感心して、私が、
「母ちゃん、ものすごくアタマがしっかりしてるね。とても89歳とは思えない。頭脳明晰だね」と言うと、
「頭脳は書けるけど、明セキのセキが書けないわ。
あのね、デイサービスで『脳トレ』もやっていて、いつも漢字の書き取りや読みがなをがんばってるの。
だって、もしかして子どもに会えたとき、ボケてたらイヤでしょう?
いつか子どもに会ったときのためにって、脳トレしていたの」
ああ、そんなにも子どもに会いたい思いを募らせていたのか……!