新居の裏にある家が「ゴミ屋敷」だ。
しかし、あいさつに伺わないといけない。
うがいだのテレビだの、丸聞こえの時点でアウトなんだが、う~ん、なんとかグランドピアノを弾けないものか?
その一心で、ゴミ屋敷のピンポンを押した。
ええねん、どないでも。
ゴミぐれえで怖気づいてピアノが弾けるかってんだ!
ややあって、出てきた住人は、私を見るなり、
「あ、あんたか!」と声を上げた。
うわあっ! びっくらこいたっ!
なんと、そのヒトは引っ越し当日にやってきた、あの中年女性だったのだ!
あの「あんた、アホや。大家にダマされて、高い家賃取られとるんや」と、私に言ったヒトだった。
女性はうっすら笑みを浮かべている。
すると、ウチの中からガサガサ音がして、もう一人男性があらわれた。
体格のいい若い男性だったので、私は一瞬ひるんだ。
しかし女性は「息子やねん」とうれしそうに言う。
あ、そっか、親子で住んでいるのか。
お母さんは四十代ぐらいか。息子さんは二十代だろう。
親子とわかると、ずいぶんホッとした。
お母さんは「ウチ、汚いやろ?」と言って、少し恥ずかしそうにした。
私は「いえいえ、これからどうかよろしくお願いします」と、粗品を差し出した。
すると、お母さんはますますうれしそうな笑顔になって、
「ありがと。
息子に言うてたんよ。こんどのヒトはええヒトみたいって。
なあ、前住んどったんは、ヘンなおっさんやったもんな」
と息子を振り返る。
息子さんは、無表情で立っているだけだ。
ついで、お母さんは私にこう尋ねた。
「あんた、あそこにひとりで住むんか?」
「あ、はい」と思わず答えてしまう。
「あんた、結婚してへんの?」
「あ、はい」
「なんで? ずっと?」
「はい」
「え? 1回もしてへんの?」
「はい」
「なんでっ?! オトコと付き合うたことないんっ?!」
お母さんは、ものすごく驚いたようすで、真剣に私を問い詰める。
ああ、このヒトの関心事は、結婚とか恋愛なんだろうなあと、私はふと思った。
うん、キレいな顔立ちのヒトで、いわゆる「男好きする女性」かもしれない。
どことなく人懐こい感じも、男性には魅力的かな。
そのヒトは「そんなら、あんた、寂しいな。
あたしは離婚したけど、いまは息子がおるからええねん。
息子いてよかったわ」と言う。
わ、すなおなヒトだなあ!
ええお母さんやないの?
しかし、お母さんの話は延々とつづいた。
昨日とおなじく、妙に話がつながらず、唐突に怒り出したり、笑い出したりと感情の起伏が激しい。
30分ほど経ったころに、私はお話をさえぎってお願いした。
「あのう、すみません、ピアノを弾くかもしれませんが、ご迷惑でしたら言ってくださいね」
お母さんは「そう、ぜんぜんかめへんよ、ええなあ、ピアノ聞かせてな」と、ニコニコしてくれた。
そこでお母さんもキリをつけてくれたので、私は自分の家に戻る。
ふう。
ゴミ屋敷の住人が、まさかあのヒトだったとは驚いた。
こう言っては失礼なんだけど、悪いヒトではない。
むしろいいヒト。
だが、とても話をしたいようで、う~ん、もしかすると私の家に来られるかもしれない。
私は人付き合いがすごく苦手だから、その点が心配だ。
肝心のピアノについては、快くOKしてくださったが、う~ん、それもなあ。
なにせ丸聞こえだから、やっぱり弾くのは、はばかられる。
あと、ちょっと引っかかったのは、お母さんのある一言だった。
お母さんいわく「息子、ええ子やけど、キレたらエラいことになる」らしい。
だ、だいじょうぶだろうか?
いや、それがだいじょうぶじゃなかったと、じきにわかる。