私は恐怖に凍り付きそうになった。
しかし、玄関扉をガンガン叩く音とともに、
「あんたっ! あんたっ! ないやんかっ?! どしたんっ?!」という女性の声が聞こえてきた。
うわっ! ゴミ屋敷の女性だよっ!
まあ、でも正体がわかってホッとした。
私はあわてて、玄関の灯りスイッチを入れて、鍵を外して扉を開けた。
見ると、あの女性が悲壮な顔つきで立っている。
「おねえさん、どしたんですか?
もう遅い時間ですよ」と私は言った。
私が引っ越して来てから、女性は何度か私のウチにやってきていた。
私よりは二十歳ほど若い女性、といっても四十代だと思うけど、私は彼女のことを「おねえさん」と呼んでいた。
「あんたっ! ないやんっ?! 自転車ないやん?! どしたん?! 盗られた?!」
ああ……、そっかー、私の自転車のことか。
いや、引っ越してきたとき、自分の自転車をウチの前に置いておいた。
しかし、風かなんかで横倒しになったので、今日の昼間、ウチの南側の細いスキマへ、自転車を移動させたのだった。
「おねえさん、自転車ね、置く場所変えたんですよ」と、私はゆっくりと、女性を落ち着かせるように話した。
「え? そうなん? どこにあるん?」
「ホラ、……、こっちの奥にあるでしょ? 暗いから見えにくいけど」
女性は一所懸命のぞきこんでいたが、
「あ、ホンマ、あるわ、よかった!
あたし、盗られたんか思ってん」と言って、ニッコリした。
その笑顔を見ると、私はなんとも言えない気もちに襲われた。
「おねえさん、心配してくれてありがとね」
「そうや。
あ、それとな、あんた、ゴミいつでも捨てれる場所あるから、教えたるわ」
そう言って、女性が歩き出したので、私は戸締りをして後をついていった。
いっしょに歩きながら、女性は機嫌よく大きな声でしゃべっていた。
夜も更けて、だれもいない暗い道を、このふしぎな女性と歩いているのが、少し心地よかった。
しばらく行くと、細い水路の脇に、ゴミやガラクタが山積みになっている場所に来た。
女性は「ココや。ココやったら、いつでもなんぼでも捨てれるで」とうれしそうに言う。
「ああ、そうやね。教えてくれてありがとね」
ふたりして、また同じ道を戻る。
私のウチの前まで来ると、私は、
「じゃあね、ありがとね、おやすみなさい」と言った。
女性はもう少し話したそうだったが、
「うん、おやすみ、またな」と手を上げて、自分のウチに向かっていった。
さて、どうしたものか?
女性が、昼も夜もよくウロウロしているのは、わかっていた。
日中は、息子さんとふたりで、ともに自転車に乗って「空き缶集め」をしている。
女性にとって、自転車はとても大切だから、たぶん私の自転車を日ごろよく見ていたのだろう。
なので、今夜「自転車がない!」と気づいて、すぐ玄関を叩いていたのだ。
ねえ、親切で好意でやってくれていて、それに、いつもニコッと笑顔を見せてくれるからねえ。
だが、私が悩まないといけない相手は、その女性ではなかった。
「その事件」は、別の夜に発覚した。
いよいよ「おまわりさん」に助けを求めないといけないか?