もともと私は、家事全般が大嫌いだ。
とくに「食べること」に関心が薄いので、「食べもの → 燃料補給」程度だから、食べモンはなんでもよろしい。
てか、何食べるか考えるのもメンドーで、自分ひとりのときは「朝:豆腐」「昼:スーパー総菜」「夜:納豆雑炊」と決まっていた。
ほんとは「錠剤かなんか1錠」で済んだら、ラクなのにっつーほど、食べるのがメンドクサかった。
けれども、母と同居することになって、はい、食事の用意も必要でございます。
でもねえ、母ちゃんは「食べることは好き」だが、「料理は嫌い」だった。
ま、子どもが大きくなってきたら、もう作らなくなっちゃったね。
そのことを、むかしは恨めしく思っていたが、しかし!
いまとなっては、メリットに変わったのだ。
どういうことかと言うと、母の先入観は「『料理』というモノは、世の中すべてのヒトが『大嫌いでメンドクサい』モノ」であり、そんなに忌み嫌っている「料理」を、私に強要しないのだ。
なので、いっしょに住むようになってからも、
「春ちゃん、作らなくていいよ。
いまはコンビニがおいしいから、買って来たらいいよ」
としょっちゅう言っている。
そりゃ、もともと作る気ゼロだから、言われなくてもなにもしない。
▼同居してからのメニュー
新居のマンションから歩いて5分のところにファミマが、6分でスーパー、8分でもう一軒スーパーがあるので、とても便利。
だもんで、惣菜を買ってくるか、冷凍食品ばっかり。
でも、今夜は一大決心して「ゆで玉子」を作った。
そしたら、母ちゃんは、
「おいしい、おいしい、春ちゃんが作ったゆで玉子はおいしい」とよろこんでいた。
私も61年間生きてきて「自分の作ったゆで玉子がおいしい」とホメられたのは、はじめてだった。
さすがにゆで玉子なんて、だれが作ってもおんなじだろっ?!と思うが、はああ、サ高住では「ゆで玉子1個」なんてのも出ないらしい。
上のメニューは、母が食べたいと言ったモノを、毎日買ってきているけど、こういう「ふつうに当たり前のメニュー」がサ高住は、まったく出ないそうだ。
サ高住のごはんは、私も一度だけ味見したことがある。
まあ、冷凍食品ばかりだな。
それも非常にマズい。
いちおうおかずらしく3品あるけど、どれも味付けが濃くて、ぜんぶ食べられそうもない。
デイサービスは、みんなといっしょに食べるのだが、かなり残すヒトも多いという。
母も、マズくて食べられなくて、食事の時間が苦痛だったらしい。
母「あそこにずっと居たら、一生ざるそばも、おそうめんも、たこ焼きも、サンドイッチも、お寿司も、お赤飯も食べられなかった」
たこ焼きなあ……
べつに食べなくても生きていけるモンだけど、「食べたいモノをいつでも食べられる自由」って、スゴく大切なんだねえ。