新居は、母ちゃんには気に入らなくても、すいません、私はとても好き。
静かな住宅街にあり、周りは広く整った道路。
築47年でも、見るからに堅牢そうで、わりと規模の大きい鉄筋マンション。
私の好きな間取りで南向き、風通しがよく、真夏でも涼しめ。
そして、徒歩数分で行けるところに、スーパーとコンビニが2軒ずつある。
この買い物の便利さは格別で、毎日行くにはほんまラク。
引きこもり老人の母ちゃんも、いちどはスーパーをのぞいてみたいというので、今日午前中、思い切ってクルマで連れて行った。
クルマの乗り降りは、母も私もひと苦労だけど、ゆっくり時間をかけて、ようやくスーパー内へシルバーカーを押しながら入る。
母は、スーパーに来るのは数年ぶり。
うれしそうにお店の商品を眺めている。
店内は空いているが、ほかのヒトがうっかり母にぶつからないように、ボディガードよろしく、私は母の周囲を厳重に警護する。
いや、だってさあ、骨粗鬆症で圧迫骨折やってるし、ほんまちょっところぶだけで骨折確定。
室内でころんだだけで、下半身不随になったヒトもいるんだよ。
さいわいほとんどヒトがいなかったので、母ちゃんは、落ち着いて欲しいモノを探し、私は後日の買い物のために、そういうのを撮影しておいた。
その日に買うモノもたっぷり選んだので、カートは山盛り。
この時点で、母は疲れ切っていたので、レジに向かう前に、いったん母を駐車場へ連れて行って、クルマに乗せ、エアコンをガンガンに効かせておく。
これでひと安心、私はスーパーのなかに戻り、自分の買い物も追加して、レジに並び、ゆっくり袋詰めする。
母が転倒しないか、始終ハラハラしっぱなしだったから、私もけっこう疲れてるんだよねえ。
なので、ちょっとの間ひとりになれるときは、自分がノビノビできるように、意識してゆったり動くようにしている。
さて、買い物が終わり、クルマに戻ると、母が上機嫌だった。
「いまね、左のお隣のクルマに赤ちゃんがいたの」
「あら、そう」
母は、赤ちゃんが大好きなのだ。
「クルマが停まったとき、助手席にお母さんがいて、赤ちゃんを抱っこしていてね。
それから、お母さんが、お父さんに赤ちゃんを渡したのよ」
「ふうん」
「そしてら、赤ちゃんが、私に気がついて、ニコニコして手を振ってくれてね」
「へええ、クルマの窓、開けてないのに?」
「そうなのよ。
私もすごくうれしくて、すぐに手を振ったの。
そしたら、赤ちゃん、ずーっと手を振っててね」
「ふへえ」
「それがね、おかしいの。
お父さんもお母さんも、赤ちゃんが私のほうを見て、手を振っていることなんか、ぜんぜん気がついていないのよ」
「ああ、そりゃ暑いし、お父さんもお母さんも、早くスーパーのなかに入りたくて、それどころじゃないんだな」
「そうかも。
でも、赤ちゃんは、ずっと私に手を振っててくれて。
スーパーのなかに入っちゃうまで、ふたりでずっと手を振ってたのよ」
あらら~、それはうれしい出来事だよね。
私「赤ちゃん、いくつぐらい?」
母「う~ん、1歳ちょっと過ぎかな」
ふうん、そんなにちっちゃい赤ちゃんが、隣のクルマのなかにいる90のばあちゃんに気がつくってのが驚異的だ。
私「その赤ちゃん、生まれつきヒトが好きなコなんだね」
「そうかも。いいコに育ちそうなかわいい赤ちゃんだったよ」
ふふふ~ん。
じつのところ、私は「周囲のニンゲン」がまったく目に入らないタイプ。
そもそもニンゲンがいるかどうかも気がつかず、アタマん中はつねに「自分の関心事」が充満している。
その点、母はまったく逆のタイプで、いつも周りのヒトたちが気になるらしい。
だからこそ、赤ちゃんの存在に気がつき、で、さらにまた、その赤ちゃんもヒトが気になるタチらしい。
90歳近くの年の差はあるけれど、おたがいに「同類」だと察知して、手を振り合うというコンタクトを取りたくなったんだろう。
私が持っていない「特殊能力」をあらたに発見したエピソードだった。