「好き」という感情は強力だ。
私は、当たり前のように「自分が、ほんとうに心底『好き』なモノ」にこだわる。
持ち物すべてを徹底できてはいない。
ゼニの都合で妥協しているモノも多い。
しかし、目に入るモノの色や質感、位置が気に入らないと、ソレが目のハシに入ったとき、一瞬「違和感」を覚える。
そういうのを、少しずつ排除していくのが「好き」な作業でもある。
で、「好きな位置」について。
・モノを置くとき、ほかのモノと平行か垂直か?
・使用頻度に応じて、適切な距離にあるか?
・これらの秩序は、つねに保たれているか?
↑ここらへんねえ、母ちゃんが徹底的にこだわっとるのよね。
まあ、私が生まれたときから、「そういう世界」だったから、じゅうぶんなじみがある。
さらに父は、なおいっそう↑こんなのが徹底していたから、実家は、モノが多くても、いつも整然と片付いていた。
さて、ズボラでだらしなくて、なぜか汚部屋を形成してしまうのが私。
どこへ引っ越しても、すぐに散らかって床可視率が10~20%というありさま。
ただ、いつか片付けて、スッキリさせたいという気もちはあった。
そう思うんだけど、どうにもやる気が出なくて、ダラダラしっぱなし。
スキあらば、本とかネットとか、近年ではユーチューブに逃避して、結局「昼夜逆転、引きこもり、汚部屋在住」がデフォルト。
でも、そういう状態、ほんとは「好き」じゃなかったね。
自分で「好き」だとはとうてい思えなくて、だから「片付けられない自分」を嫌悪していたな。
ところが、やにわに「母ちゃんが出現」した。
母が3年間住んでいたサ高住の部屋を、はじめて見たとき、びっくりしたな。
ひええ、90歳近くになっても、やっぱり「母の部屋」だ!
モノは多くても、すべてがキチ~ンと「あるべき位置」にピシッと収まっている。
ミニキッチンも洗面所も、カランは輝いているし、排水口までピカピカ。
私も、ちょっとは成長して、母を「ひとりのオトナ」として見られるようになった。
だから、高齢で身体が不自由になっても、こうやって「キチンと好ましい状態」を保っているのが、スゴいなあと感心した。
なので、母と同居してからは、「母のやりかた」を見習うことにしたのだ。
けど、母みたいにモノを扱うのは、それほどむずかしくなかった。
さいしょのうち、ややメンドーと思うこともあったが、1ヵ月半たったいま、自然にできるようになった。
その結果、床に置きっぱなしのモノは、まったくなくなった。
出したモノ、使ったモノは、さっさと定位置に戻す。
宅配が届いたら、即開けて、個人情報はシュレッダー、空箱は分解して定位置へ収める。
こんなの、以前は平気で2~3年とか溜めてたんだけどね。
食後、洗い物は即取りかかり、一日の終わりには、流しの排水口まで掃除。
母は、キッチンまで歩いてこられないので、べつに母が排水口を見る機会はないのだが、なんだかこうやりたいので、こうしている。
こういった「新習慣」が身についてきたいま、ああ、もともと自分は「こういう状態が『好き』だったんだな」と気がついた。
ほんとは、汚部屋なんか嫌いだったんだ。
だから、なんか澱んで、停滞しちゃって、やる気出なくて、ユーチューブに逃げてたんだ。
というわけで、「自分が『好き』な環境、空間」が、ようやくわかったんですよ。