母ちゃん、90歳にもなったんだから、ご自分の余命とかちょびっとは考えとるかね?
いや、それがね、べつになにも考えてないねえ。
自分の葬式をどうしたいとか、湯灌やお化粧は必須だとか、そういうプランはかなり熱心。
でも、ソレがじつは「ご自分が旅立ったあとの行事」だという意識はぜんぜんなし。
単に「セレモニー」が好きで、しかも「自分が主役」だから、張り切ってプランニングしてはります。
私としては、壮大な葬式プランばかり練っているより、いま現在、まだ身体が動くうちに「ヤリたいことプラン」とか考えてはいかが?などと思うのだが。
どうも「現世プラン」は、しんどくて気が向かないらしい。
ま、好きなようにしなはれ。
で、たとえば「天国に行ったら、まずだれに会いたいか」というテーマ。
母「私は、ずっと前から決まっているの。
あのね、キヨミさんに会いたい。
私のお姉さんみたいな存在だったから」
そうなんだ、母の父でも実母でも継母でもない。
他人であったキヨミさんに会いたいんだ。
ってことは、じつは私が30代ぐらいのときから、よく母から聞いていたので知っていた。
キヨミさんは、母が若いころから親しくしていた女性。
まだ私も妹も幼いころ、たとえば私の学校行事とかに、母が参加しないといけないときなど、小さい妹をよく預かってくれたらしい。
母は、継子育ちなので、子どもの預け先として実家を頼れなかった。
さらに、そういう生い立ちが要因で、だれに対しても自分のホンネを話すことができない。
しかし、ゆいいつキヨミさんには、なんでもすべて話すことができたらしい。
母の話を聞いていると、おおよそ全般にわたって、「継母に育てられたこと」の影におおわれていて、なんとも哀れである。
母は、その辛さをだれかに「ほんとうにわかってほしい」と切望している。
だが、皮肉なことに、私は「実のお母さん」に育てられたがために、いくら私が聞いても、すいません、「継母に育てられた苦しみ」ってのは、じつはよくわからない。
よくわからんので、母から、
「春ちゃんは、天国に行ったらだれに会いたいの?」と尋ねられても、見当はずれの答えしか思い浮かばない。
私「S先生に会いたいよ」
母「えっ? S先生って、子どものときにピアノ習っていた、あのS先生?」
「そうだよ。
真っ先にS先生に会いに行って、ひれ伏して『申し訳ございませんでしたぁ!』って謝りたい」
まあ、つねづねそう思っているんだ、私。
S先生には、小学5年から習っていたが、結局中学1年でピアノをやめることになった。
その3年間、S先生は厳しい指導をしてくださったにもかかわらず、私は、あまりにもアホすぎる生徒でしてな。
とうとうただのいちども、マジメに練習することなく、やめてしまったのだ。
そんなことになったのを、ずっと後悔している。
なので、あの世へ行ったら、まずS先生に謝ろうと思っていたのだが。
し、しまった!
母ちゃんとしたら、「春ちゃんが、天国に行ったとき、真っ先に会いたいヒト」ってのは、そうだ! もちろん「母ちゃんだよ」と即答してほしかっただろうに!
あう~、やっぱり空気が読めないダメ娘でごぜえます。