このところ、母の苦労話が「やや減ってくる」という現象が生じている。
そもそも母は、生い立ちが不幸だ。
母の実母(私の祖母)は、母が6歳のときに家出をしてしまい、戻ってくることはなかった。
母は、継母1に育てられたが、いまで言う虐待を受けた。
継母1は若くして病気で亡くなり、その後継母2が来たものの、このヒトも早々に自殺してしまった。
結局、母の「お母さん」は3人いたのだが、だれも母に関心を持つヒトはいなかった。
なので、私は自分が子どものころから、母の苦労話をほんとにしょっちゅう聞かされていた。
私もいまは61歳。
母と離れていた期間もあるので、ずーっと連続してそばにいたわけじゃない。
けれども、「母が、どれほど不幸な人生だったか?」という具体的なエピソードは、そのどれもが、何百回も聞いたモノばかりになってしまった。
数十年に渡って、何百回も聞いたハナシって、まあ、飽きるんすよ、母ちゃんには悪いけど。
またそのハナシかよう~、ウンザリだよう~、ええかげんにしなはれ、ってなる。
ただ、母にしたら、私に何度話しても、相手に対する恨みつらみは一向に晴れない。
しかも、そんな話を聞く相手は私しかいない。
この「強烈な恨み」は、90歳になったいまでも、尽きることなくフツフツと湧いてくる「怒り」となっている。
湧いて出てくるモンはしゃーないから、ま、とりあえず手近にいる私にブッかけているようだ。
ただ、私も以前とはちがって、母の苦労話もゆったり聞くようにしている。
自分のカラダに意識を向けて、全身をリラックスさせ、呼吸をラクにゆっくり吸ってー、吐いてーを繰り返す。
話の内容はともかく、母にとっては「いつも切実に聴いてほしい話」だ。
自分が疲れないよう心がけて、温泉にでも浸かっているかのような心地で、ゆらゆらゆったり、母のことばに耳を傾けている。
てな具合で、わりとウマく聴けるようになってきたこのごろ。
だのに、その「むかしの苦労話」が減ってきましてのう。
いったいどうして、こんな「珍現象」が起きたのか?
考えられる原因は、3つある。
ひとつ、足親指の巻き爪が痛い。
ふたつ、上の階の騒音に悩まされている。
みっつ、食欲不振。
どれも現在進行形の悩みだ。
なるほど、「いま現在の悩み」があると、「むかしの悩みまで手が回らない」のかもしれんなっ?!
で、もし仮に「いま現在の悩み」が解決したら、そうだ、きっと「むかしの悩み」が復活するんだ。
ははーん、ふふーん、母ちゃんがどうして「延々と悩みつづけているのか?」、そのナゾがだんだん解けてきたぞ。