これから母と築きたい「新しい関係」とは?

日々のあれこれ

90歳の母と同居して、私は母のことをどう思っているか?

いや、まあ、もちろん「お母さん」ではある。

だから、いまの私があるのは、母のおかげ。

私は、ひとりで居るときから、ずっとしあわせだったし、いまも充実感や躍動感を味わうことが多い。

お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!

にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ

そういう自分でいられるのは、やっぱり両親のおかげで、あの父ちゃんと母ちゃんの子どもでよかったな、と以前からときおり思っていた。

なので、母に対しては、その恩返しというか、ま、あるていど親孝行をせんとな。

これは「子どもとしての務め」みたいなモンだ。

で、「お母さん」以外では、母のことをどう見ているか?

それは「被介護者」かね。




もうすでに、ほとんど歩けない「要介護2」の人物。

「歩けない」ということは「常時、両手でなにかにつかまっていないと、立っていられない状態」だ。

すると、たかがコップひとつでも、自分で運べない。

入れ歯を洗面所に取りに行くこともできない。

引出しから、メモとペンを出すこともできない。

立っていると、シルバーカーにつかまって両手がふさがっている。

その片手を離すことが危険なので、ほかの動作がデキなくなる。

母と同居して、生まれてはじめてわかったが、へええ、「歩けない」と、日常のありとあらゆる動作に支障をきたすんだ、と驚愕した。

なので、家事全般や、モノを取る運ぶといった動作を「代行するニンゲン」が必要。

それらを請け負っているのが、私。

ただ、いまの段階では、それほど負担にはならない。




ひとりで暮らしていても、最低限の家事はやらんといかん。

食事の用意、片付け、買い出し、洗濯、掃除なんて、生きている限り必須。

こういう当たり前の家事が、私は非常にめんどくさくて、日々先延ばしにして悩んでいた。

けれども、いまは、母というペースメーカーが存在しているので、一挙に解決した。

毎日決まった時刻に、規律正しくやるべきことをやれるようになり、ホントにラクになってしまった。

なので、ミョーな話だけど、「母の介助をしていたら → 自分の生活がずっとラクで快適になった」という結果なんすよね。

そして、このごろよく思うのが、「母って『私にとってベストな人生パートナー』」かなってこと。

母ちゃん、むかしとはずいぶん変わった。

母自身、私に対して、

「むかしはほんとうに悪かった。

親風を吹かせて、言いたいことを言いたい放題だった。

ごめんなさい、反省しています」と言ってくれる。




いやいや、それは、母だけが悪くない。

私も非常にヒネくれて、スキあらば復讐しよう、報復してやるぜと、ずいぶん酷な扱いをしてきたものだ。

まあ、そんなことをやり合っていたので、じつは「お互い様」なのだ。

けれども、いまはちがう。

とくに母は、私に対して「とても丁重に」接してくれている。

ちょっと気を使いすぎているきらいすらある。

だもんで、私がソコにつけこんで、エラそうに増長しがちだ。

それでなくても、母は「被介護者」という立場で、罪悪感を持っているのにね。

いかんいかん。

だからね。

これからは「対等なパートナー」という関係を築きたいな、と。

「親子という縁」だけに縛られたくない。

そうではなく、「ひとりの人間同士」として、ま、少しずつ関わりを深めたい。

同じカテゴリーの、つづきはこちら
【閲覧非推奨】47歳のとき、スキンヘッドにしたしょーもない理由
「毛」がメンドくせー。 アチコチの毛は、老化とともに、かなり抜け落ちてくれた。 かつては誇りに思っていた猛々しいスネ毛も、いまは1本もなく、ツルツルだ。 同様に、ワキの下もツルツル。 お手数ですが、どれかをポチして ...
同じカテゴリーの、前回はこちら
「いまヤりたいこと」がスパッと決まっているありがたい理由
子どものとき、両親の意向でピアノを習っていた。 父はクラシック音楽が非常に好きで、しょっちゅうレコードをかけていた。 母は歌が好きで、中学・高校は合唱部に入り、社会人コーラスもやっていたという、これまた音楽好き。 ふたりと...
タイトルとURLをコピーしました