「ひとり暮らし」と「介護同居」│どっちが快適か?

日々のあれこれ

「母のしあわせ」について、あれこれ考えている。

あ、だけど、ほんまは「自分のしあわせ」のほうが最優先でっせ。

そいつは当たり前。

じゃあ、なぜ「母のしあわせ」について、あるていど取り組んでいるか?

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あのさ、身もフタもないが、べつに「母に愛情を抱いているから」じゃない。

基本的に、私は、そういうのにあまり関心がない。

ゼロじゃないけど、飽きるんですなあ。

「人間関係」よりも、大自然とか音楽とか、そっちのほうが、「私にとっては」はるかに興味深く、いくらでもカマけていたくなる。

だのに「母のしあわせ」も考えているのは、あくまでも「自分の居心地のよさ」をもっと向上させたいからだ。

少なくとも、「いま現在は同居」しているほうが、私も母もメリットが大きい。

でさ、7月から母と同居して以来、わりとがんばって「母を観察」してきた。

ふたりで話し合いもよくやってきた。




母も、はじめて「私個人」に関心を持ってくれて、私の話も熱心に聴いてくれた。

母「春ちゃんのこと、やっとわかってきたけど、へええ、親子でもこんなに考えかたがちがうんだね!

まあ、そうっすねえ。

私は、子どものときから母のキゲンばかりうかがってきた。

だもんで、けっこう「母について」の研究歴は長い。

それでも、じっさいにキチンとコミュニケーションを取ってみると、母のことを誤解していたり、知らなかった事実も多数出てきた。

「母ちゃんは、食べものがおいしいと『しあわせ』になる」ってのも、そのひとつ。

たぶん「味覚」が発達しているんだろう。

てか、「味覚により、満足度を得る方法」が、いっちゃん彼女に合っているのだ。

対して、私の味覚は非常に鈍い。

食物はしかたがないので補給しており、ガソリンや石炭を入れるような感覚だ。

けれども、食事のたびに、母が「おいしい、おいしい、しあわせオーラが出てきた」とよろこぶ。




そんな奇特なヒトと、毎度食べているうちに、わずかだが「食」の印象が変わってきた。

考えてみれば、「食」とはタイヘン重要だ。

私はひとり暮らしが長くて、ますます「食」がおろそかになった。

栄養バランスはあるていど考慮するが、同じモノばかり、たとえば納豆や豆腐など、毎日何年も食べつづけてしまう。

献立を考えるのが、メンドくさいからだ。

しかし、まったくそうじゃないヒトと、いっしょに暮らすのは、いい刺激になる。

これまで私は「日常生活全般」に興味がなく、ズボラこいて汚部屋ばかり形成していた。

だが、母と同居してからは、規則正しい生活がしぜんにデキるようになり、部屋も台所もキレイな状態をキープしている。

こういった「意外なメリット」が大きい。

結果的に、私の人生は、ひとり暮らしのときよりも「豊か」になりつつある。

だから、「母のしあわせ」について考えをめぐらす「余裕」が出てきたとも言える。

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