S山先生から、延命治療について、
「じゃあ、心臓マッサージとかは、どうしますか?」
とも尋ねられて、またまた仰天する。
あのさあ、そんなの、テキパキすぐ返事できる家族も、そんなにおらんでしょ?
あ、でも、そういえば亡父は日ごろから、
「延命、いっさいいらん。葬式もなし。献体するだけ」とずっと言っていた。
そうそう、父が入院したときも、お医者さんから私に、延命治療はどうするか?訊かれたわ。
で、私は「ぜんぶいりません」と、そうだよ、即答したよ。
そしたら先生「え?」
「ずっと父は『ぜんぶいらん』と言っていましたから」
「そんなこと、話し合っている家族も、めずらしいですね」と先生。
てなことを思い出した。
母とも、たまに話題に出していたが、なにせ母は、非常に迷うし慎重なので、もちろん未決のままだった。
S山先生が立ち去られたあと、さすがに私も、う~ん、どうしたもんか?と考えて、それまで読みふけっていたキンドルをパタリと閉じた。
すると、ほどなくして、こんどは入院手続きに呼ばれた。
ひええ、入院するって、それも聞いてないよっ!
まあ、私もなんどか入院したことがあるから、ああ、はいはいって感じで。
そうこうしているうちに、母の検査がもう終わったらしく、5階の急性期病棟へ案内された。
と、その直前、主治医のS山先生が来られて、
「血液検査で炎症があるようで。
左の肺の隅に、少し肺炎が見られますから、抗生物質を使いますね」とのこと。
ああ、肺炎ってなんだろう?
年寄りが、ソレになるとヤバいぐらいしか、わからん。
先日、内科クリニックでの検査では「炎症なし」と言われていたから、うう、その後に悪くなったんだなあ。
5階の「ココで待っていてください」と言われたイスに座っていたら、やっぱり涙が出てきた。
ごめんよう、母ちゃん、粗末にあつかってきて、ごめんごめん。
で、ふと入院のしおりを見ていたら、えっ?!
面会は、月2回で、時間は15分。
かつ、面会間隔は2週間以上空けること、と書いてある。
驚いて、そこらにいた看護師さんに尋ねたら、
「それは12月からで、11月までは月1回10分だったんですよ」
はああ、コロナ?とかの影響ですかね?
テレビを見ないので、さっぱり知らんかった。
しばらくしたら、母のベッドへ案内された。
やせ細った左腕に、2本も点滴されていて痛々しい。
「母ちゃん」と声をかけると、うっすら目を開けた。
「検査、しんどかった?」
「……うん。
動かないでいいけど、ガタガタ揺れて……しんどかった」
「あのね、ごめんね。
面会は、2週間に1回、15分だけなんだって」
「えっ?!
そんな……寂しいわあ」
母は、いまにも泣き出しそうに顔をゆがめた。
「うんうん、つらいよねえ。
でも、がんばって、ごはん食べてね。
食べて動けるようになったら、おうちに帰れるから」
と、私は言いながらも、その「ウチ」も、ほんとは母が気に入っていないしねえ、と思った。
母の「安住の地」が、どこにもないのだ。