K総合病院に、「事前指示書(リビング・ウィル)」を提出したものの、私にはなにも連絡がない。
母の状況は、いまもまだ口からほとんど食べられない状態がつづいている。
処置は、先日私が見るかぎりでは、末梢点滴と酸素吸入だけのようだ。
私はシロウトだから、そりゃわからんよ。
ネットの情報をテキトーに拾うていどだから、まあ、私の判断がまちがっている可能性は高い。
でもな。
末梢点滴だけなら、余命はせいぜい1~2ヵ月らしい。
ケースバイケースだけど。
母が、あきらかに終末期だったら、これからどうするか、選択肢はせばまるだろう。
しかし、う~ん、どうなんだろう?
食欲がなくなりはじめたのは、9月中旬からだ。
で、ガクンと食べなくなったのが、11月16日。
しまいには、ゼリー飲料しか飲まなくなったので、内科クリニックを受診。
そしたら、ソコの先生に、
「それはねえ、甘えや。わがままや」と一喝される。
そう。
私は、その先生のコトバが、とても腑に落ちるんだよね。
だって、当たり前だが、経験豊富なお医者さんなんだからさ、ひと目母を見たらわかるじゃん?
もうお迎えが近いから食べられないのか?
それとも、なんかわだかまりがあって、食べようとしないのか?
私が母を見ていても、終末期が近いとは、まったく感じなかった。
母自身も「私、ムクれていて食べたくないのかもしれない」と言っていた。
そうなんだよねえ。
食べたら食べられなくはないハズなのに、かたくなに食べることに背を向けているみたいで。
母「去年、背骨の圧迫骨折してから、
むかし、あんなにおいしく食べられてたお肉も、イヤになっちゃって。
お魚も、イヤになっちゃって。
じゃあ、なに食べたらいいのっ?!」
そんなふうに、なんども繰り返しなげいていたねえ。
どうも、「病気」や「老い」の理不尽さに対して、すんごく怒りがあって、ハンガーストライキ決行中みたいな感じだ。
で、結局、救急車でK総合病院に入院した。
まあ、食欲不振のきっかけはともかく、いまもほとんど食べられない。
しかし、主治医のS山先生は、入院初日の診察のみで、あとはいちども母のところへ来ないらしい。
もちろん、家族の私にも、病院からはなにも情報なし。
なので、母も私も、シロウト判断だが、胃ろうをしてもらいたくて、「事前指示書」を提出した。
けどまあ、病院からは音沙汰なし。
まあ、しゃーない。
今週中には、なんらかの動きがあるかもしれんので、待ってみよう。
病院へは、洗濯物の受け渡しとともに、ほぼ毎日、母宛の手紙も届けている。
母が、読めているのかどうかわからんが。
今日は、お花のアレンジメントも持参した。
母ちゃんよ、
病気も老いもウンザリなのは、よくわかるがのう。
だからって、いろんな可能性を閉ざしてしまうのは、ちょっと早すぎないか?
アナタはまだまだ生きられる。
まだまだ、怒りながら、文句垂れながら、人生を楽しめるはずだよ。