母の性格って、じつはそもそも「非常に暗い」。
複雑な生い立ちだったので、そうなってしまったのもムリないか。
けれども、他人からは「明るくて楽しいヒト」と見られたいので、母は他人に対して名演技をむちゃくそがんばる。
だけど、ソレって自分をいつわって、見せかけの自分を演じているので、当然スゴく疲れる。
疲れてどうなるかというと、他人と別れたあと疲労困憊で、ウチのなかではよりいっそう不機嫌になる。
母は他人から「いいヒトねえ」と言われることが多い。
そんなふうに言われると、そのつぎも、そのまたつぎのつぎも、「いいヒト演技」の舞台に立たないといけない。
すると結局、そのヒトたちに会いたくなくなる。
自分がしんどくなるだけなので。
そういうのを、90歳までやってきたのが、母ちゃんなんだよねえ。
母が、ゆいいつ「素の自分」を出せるのが、この私。
だから、まあ、私は子どものころから、母の「暗黒世界」ばかりに接してきた。
私はといえば、すぐ戦闘モードに入るし、ゲリラ戦も得意だし、母の急所を狙ってこれでもかこれでもかと、反抗と復讐にせっせと励んできた。
しかしだねえ。
もはや「敵」は90歳の寝たきりである。
戦いに挑みつづけた私も、故障だらけの老兵と成り果てた。
おたがい、さすがに気力体力も尽きてしまった。
するとだな。
私もしんどいから、母ちゃんを「適当にあしらう、いなす」ってな方策に切り替えた。
母ちゃんが、暗~いドンヨリとした話に落ちていっても、
「ホラホラ、またドンヨリがはじまったねえ」とか、
「さあ、そろそろドヨ~ンのお時間です!
今回は、どこまで沼に浸かれるか? 楽しみですねえ」って感じ。
まあね、いつもつねにドヨ~ンとした方向に向かうのは、たぶん性分なんだろな。
同情してもらいたい、ってのもある。
被害者でいつづけるメリットもあるんだろう。
少なくとも、90年間ドヨ~ンとしてきたから、それなりに低値安定しているのだ。
そのドヨ~ンに振り回されちゃったのが私。
べつに母がドンヨリするのは、そういう趣味趣向なだけで、母の自由なんだよ。
けどさ、そのドンヨリを深刻に捉えて、自分までドンヨリする必要はさらさらない。
そこらへんが、ようやく、ほんま62歳になってようやく腑に落ちてきた。
このごろは、母がドンヨリすると、私がおちゃらけるので、母もいっしょに大笑いするようになってきた。
おたがい楽しい余生を送ろうじゃないか。