親指が使えないとこないに不自由でっせ

ピアノの練習ができなくなって、非常に落ち込んでいる。
あまりの落ち込みように自分でもびっくりしてるが、いやあ、どーにもこーにも気分が持ち上がらなくてこの世の終わりみてえだ。

これまで毎日、ハノンやってツェルニーやって、さあインベンションって当たり前みたいに弾いてたけど、そうか、アレは「当たり前のコト」じゃなかったんだ。
そんなふうにしみじみ思ったりした。

「痛み」ってけっこうやる気をそがれるもんだし。
これまでもずっと指の関節は痛かったけど、いまの「母指CM関節症」にくらべたらカワイイ。

てか、親指使えないから日常生活もすっごく困る。引っ越しの片付けもあと25箱も残ってんのになんにもできない。
パック容器を開けられないから、スーパー行って、惣菜とパックご飯買って、レジのおねーさんに容器を開けてもらって、イートインで食べてる。

もはや要介護老人じゃん! ひとりでメシも食えねーよっ!

だいたいウチから出るだけでも四苦八苦してて、古いマンションでドアノブが丸いから両手使ってもなかなか開けられない。
小銭もつまめないから、レジでジャラジャラぜんぶ出して、おねーさんに拾ってもらう。

まあ、半身不随にくらべたらはるかにイイわけだけど。父ちゃんは脳梗塞で左半身不随になってもうたからね。かわいそうにな。トシ取ってきたらなにが起こるかわからん。

でも、心理学の大原則によると「必要なことしか起こらない」ので、うん、コレもワシにとって必要なナニカなんだと信じよう。
ちょうどいいタイミングで退職できたんだし、しばらくゆっくりしていよう。

ま、そのうちカネが破綻しそうなんだが、まだ売るモンはある。あのボロマンションとか軽トラとか、テキトーに売りさばこう。

「いまできることをする」っていうのも、カウンセラーN先生の定番。

▼なので、とりあえずインベンション7番を「親指ヌキ」で弾くための指使いを考えてみた。
ペンで書くのもタイヘン。でも太めのペンはなんとか書ける。
書いたはいいけど、すっごく弾きにくい指使いだわさ。

▼ここらへんの左手、限界超えとるな。
苦肉の策で「黒鍵→白鍵」を同じ指番号ですべらしたりしてるけど、同じ音での「指かえ」が多すぎて、超低速でしか弾かれへん。

親指1本ないだけで、エラいことになるわ。
あさってがレッスンなんやけどっ! だれか親指貸してくれっ!

むかし山登りをしてたころ、北アルプスのある山でとんでもない女性に出会った。
けっこう難易度の高い山で体力を要する。難所もいくつかある。

その難所のひとつ、鎖場と呼ばれるところ、文字通り鎖が渡してあり、それを頼りに伝い歩く足場の狭く危険な箇所を通過してるとき、向こう側からひとりの女性がやってきた。
エラくゆっくり歩いてるなあと遠くから見えたが、近づいてきてその理由がわかった。

彼女は松葉づえを突きながら歩いていたのだった。
ごくふつうの登山姿で大型のザックを背負っており、それなのに松葉づえを使いながら慎重に鎖場を通過しつつあった。

そもそもこの山ぐらいになると、女性がひとりで登っていることすらめずらしい。
それなのに、いったいどうしてこのヒトは、松葉づえを突いてまでこの山に登ってきているのだろう?

道に少し余裕がある場所ですれ違うとき、なんと声をかけたらいいかひどく迷ったが、結局「こんにちは」とだけ控えめに言った。
彼女は視線を合わさずに低い声で「こんにちは」と返して、そのままゆっくり遠ざかって行った。

思いつめたような硬い感触だけが残った。
そうまでしても登る理由が、あのひとにはあったんだな。

親指を使わないでピアノを弾くのはむずかしいけど、いや、あの女性にくらべたらどうってことはないか。

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