しょっちゅう「パート行きたくない病」をこじらせておるけど、ノラ猫キジトラちゃんを見かけると深く反省したくなる。
▼今日は遠くにいた。畑の横っちょ。
いや、キジトラちゃんはたぶん一日中エサ探してるんだろなあと思って、アタマが下がるんっス。ノラ猫として生きる猫生を選んだからには、丸一日働いているのが当たり前と達観してるんだろねえ。
さて、「ライフワーク」がそのまんま「仕事」になっているヒトたちってちゃんといてはります。カウンセラーの先生がたはみんなそうだ。畏れ多いけどピアノの先生もそうだよね。身近なところだと、ワシの妹も「仕事したくない」なんて一度も言ったことない。職場を替わりたいってのはあっても職業はずーっと安定していっしょ。「おもしろいよ」っつってちゃんと勉強もしつづけてる。
思い返すと、パート先でも「仕事が大好き上司」がふたりもおった。上司1号は「仕事が生きがいや」と宣言しておって、ホンマに熱心に働いていた。1号さん、「ボクはあのヒトが目標や」とよく言ってた。「あのヒト」って、週に2~3回出勤してくるすっごい年配のヒトだった。
そのすっげえ年配のヒト、いやホント顔もシワシワで、いやこりゃ相当トシいってはるなあとワシは思ってたが、それでも「あのヒト」は半日ほどの立ち仕事を黙々とこなしていた。しかも専門性の高い内容の仕事だ。のちに先輩パートさんがこっそり教えてくれたけど、「あのヒト」は90才をとうに超えているということだった。
90過ぎてなんで働いとるのっ?!って仰天したけど、いや、なんというか「あのヒト」からは使命感みたいなモノがただよっていた。ただひたすら仕事に向き合っていた。ワシはいちどだけ声をかけてもらったことがある。「あのヒト」はおだやかに「もう慣れてきましたか?」と訊いてくれた。
そのとき、ああなるほどって思った。上司1号さんがこのヒトにあこがれる理由がわかったような気がした。で、1号さんからはたびたび「ボクも90まで働くんやっ!」という熱い思いを聞かされた。このヒトたちには「定年」とか「退職」ってまるっきりアタマにない。
さて、上司2号もすさまじく仕事が好きだった。1号さんとは別の会社だったけど、ああそうだった、職種はおんなじだなあ。2号さん(≠愛人)も若いころからずーっと仕事が好きでたまらんかったという。2号さん、仕事が佳境に入ると「踊ってた」。順調にコトが運んでいるとわかると、やおら席を立ち、部屋のなかを身振り手振りを付けて練り歩くのだ。
ありゃダンスじゃねえな。盆踊りだね。「踊る上司」って生まれてはじめて見たけど、ああ日本古来の拍子って、ズンッ、ズンッって下に沈み込む1拍しかねえよなあって思った。ホラ、宴会とかで歌ってるとき、手ェ擦り合わせながら拍子とるじゃん? アレっす。
んで、あるときその2号さんがワシにこう訊く。「私は90まで働きたいけどどうかね?イケるかね?」
い、いやあ、踊るほど好きならイケるでしょ。ワシ「だ、だいじょうぶです!」「そうかな。ボケないかな?」「い、いえ、2号さんならぜったいだいじょうぶっス!」「ミスしないかな?」「しませんっ!」
なんでみんな90まで働きたいんっ?! 信じられへんっ!
ああ、でも、要するに「ただ単に好き」だからだよねえ。ちゃんと「ライフワーク=仕事」だったら、そりゃもうおもしろいから「90までやりたい!」って思うわな。
で、いまふと思いいたったけど、そうか、ソコまでおもしろいことだったら「90までやりたい」と思うのが自然なんだなと感心した。ワシ、これからの予定をせいぜい70才までって見積もってるけど、上司1号2号の様子を思い出したら、あかん、負けてるやん。
オノレの予定をズルズル引き延ばすつもりはないけど、せっかく1号さん2号さんが「ライフワークを生きる見本」を示してくれたのだから、70才で打ち切りなんて制限設けるのはどないだ?って思いはじめたわ。
ワシも「90までピアノ弾くねんっ!」でいてこましたろか?