数年まえ、実家の荷物をぜんぶ整理した。父ちゃんが脳梗塞でブッ倒れて入院しっぱなしになったとき、母ちゃんがとつじょ「施設に入りたい」と言い出した。実家といってもタダの賃貸マンションだ。60~70㎡ぐらいだったと思うけど、ふたりとも捨てられないタチだったからおもくそモノを溜め込んでいた。段ボール120箱分ほどあった。
なるたけ整理しないと施設のちっせえ部屋なんかにとうてい入りきらない。母ちゃんは父ちゃんをものすごく嫌っていたので、「あのジジイの持ち物はぜんぶ捨てろっ!」と金切り声をあげる。ああ、はいはいとそのとおりにする。
いまの自分は、ようやく母ちゃんから心理的距離を取れるようになってきたけど、当時はまだまだ母ちゃんとべったり癒着して共依存状態だったから、母ちゃんの言動にオノレが振り回されてホントウにたいへんだった。なにせ母ちゃんに怒られることがいっちゃん怖ろしかった。
でもまあ、母ちゃんは怒髪天をつくいきおいで怒鳴りまくっとる。ジジイのせいでこんなに不幸になった。コドモがろくでもないヤツばかりだから不幸になった。アイツのせいで、コイツのせいで、どいつもこいつもだれひとり自分を大切にしてくれない、だからこんなに不幸せだ。そんなことを、まあずーっとむかしからだけど延々と繰り返しておった。
ああ、そうそう。ソレぜんぶを「たまに一所懸命聞くアホ」がおるから、なんぼでも怒鳴っとるんよねえ。はよ止めたらよかった。実家の荷物整理だって、べつにやりたくなかったらやらんでええわけなんだけど、なぜかそのときは「ワシやらんといかん」と思い込んどってせっせとやっていた。
さて、父ちゃんの持ち物はすべてきれいさっぱり処分したけど、アルバムとかが入っている段ボールがふたつ残った。写真がみっちり詰まっている。結婚写真もある。コドモら(ワシと妹)の写真もたくさんあったはず。おそらく母ちゃん父ちゃんが結婚する以前の写真も入っていただろう。
「写真どうする?」と疲労困憊のワシは母ちゃんに訊いてみた。まあ、さすがにアルバムはなんとかして持っていくだろう。
しかし母ちゃんはドス黒い嫌悪の表情を浮かべて「捨てて」と言い放った。「ホンマにええの?」「いい」
ああそうかと思って、一個でも段ボールを減らしたかったから、ワシはそのまま処分するほうへ分類し、その他モロモロとともに廃品整理業者に渡した。
しかし、いまはそうしてしまったことを後悔している。あのとき、母ちゃんにやさしく「捨てるのはいつでもできるから、写真はまあ置いとこうね」と言ってあげたらよかった。母ちゃん、本当は捨てたくなかったはずだ。自分の過去をすべて「なかったこと」にしたいという思いと、いやそれでも生きてきた証なのにという思いが、せめぎ合っていたんだろうけど、「置いておこうね」とひと声かけたら、「自分を大切にする」ということに少しでもつながったのに。
ワシは、もともと写真を撮られることが大キラいだった。小学3年か4年のとき、遠足かなにかで担任の先生が撮影してくれた写真ですら受け取らなかった。小学校卒業写真もワザと無表情にしていた。以下、中学高校もおんなじ。で、最終的に阪神大震災のとき、アルバム類はぜんぶ捨てた。その後山で写真を撮っても、自分を撮ることはいっさいなかった。
ええと、いまはその理由がよくわかる。単に「スネてただけ」ですねん。なににスネてた? いや、親が自分のことをちゃんと愛してくれへんっちゅーてスネとった。ま、ホントそれだけの理由で、「笑顔になって写真に残るなんて、そんなコトしてたまるかぁっ! ワシはこんなに不幸やねんっ!」って地べたに寝っ転がってダダをこねてた。
けれども、ワシもさすがにちょびっとオトナになってきた。親も親なりにせいいっぱい愛してくれたとよくわかってきた。そしたら「写真に撮ってもらおうか」とすなおに思えるようになってきた。撮ってもらった写真も、少し恥ずかしいけれど、うんうん、いいカオしてるねって思ってみる。
去年の夏、はじめてカウンセラーの先生がたといっしょに写真を撮ってもらった。受講したヒトたちに自分のスマホを渡して撮影をお願いした。生まれてはじめてのことだった。
▼そのとき、撮影してくれたヒトたちが海に入っている写真。
そして、こないだのピアノ発表会で記念撮影に参加した。
えーっ?いっちゃん後ろなん? えーっ?しかも真ん中寄り。えーっ?このなかでいっちゃんトシ寄りなのに、こんな高い段にのぼらんとあかんのっ?!
ホンマに台が高いねん。60センチ以上はあったな。いっしょに並んでるのは若くてきれいでピアノばりばりのねーちゃんばっかしやのに、なんでこないなババアが混じらなあかんねんと思いつつ、こんな台ぐらい登れんと元山ヤがすたるわっ!って見栄張ってよじ登って、満面の笑みをたたえてみた。
ああ、やっと自分を大切にできるようになってきたね。