昨日のレッスンで、バッハ:シンフォニアを3回弾いてもミスが直らなくてがっくりした。バッハは大好きだしけっこう練習しているつもりなんだけどね。通しの練習は68回だ。部分練習はざっくり300回やっている。それでもレッスンではミスする。1ヵ月近く弾いているというのに暗譜もできない。
これはだなあ、やっぱりトシだからだと思うよ。ワシは13才のときにピアノのレッスンをやめることになったけど、いやそのころはここまでヒドくなかった。当時はほとんど練習しなかったが、しかしそんなに意識することなく暗譜もできていたし、ここまでミスタッチはなかったような気がする。
なので自分としては、このミスタッチのヒドさは、あの10年前からはじまって悩まされている「もの忘れ問題」とリンクしているのではないかと感じていた。去年もの忘れ外来を受診したときは「認知症ではない」と診断してもらったが、どこのパートへ行っても「仕事が覚えられない、オカしい」と言われつづけている。
まあ、パート先での評価のほうが、自分の実感と一致しているね。現にこないだだって、自分とこのマンションのオートロック暗証番号4桁をどうしても思い出せなくて困ったもんね。そういうことが毎日しょっちゅう起きているから、ああ、なんかどうも脳ミソに異変が生じているんだと思いたくなる。
さて、3回目のシンフォニアもあちこちポロポロ傷だらけで、それでもしかたなく合格にしていただきレッスンが終わった。帰り支度をしているとき、やっぱりがっかりしていた。脳ミソが縮みつつあるからこんなにミスするんだよね。仕事をしていても日常生活でもピアノを弾いても誤作動ばかり起こす。
しかし、これは努力ではどうにもならない。ホントそう。どんなにがんばってもミスする。忘れる。「『トシを取る』ということは『徐々に障害者になる』ということだ」というコトバをよく思い出す。心身ともにデキないことが増えていくのだ。
それで思わず、ワシは先生に「ちょっと言い訳になるんですけれどもね。どうしても、なんか、あのう誤作動が多いですね、やっぱり」と洩らした。
「誤作動って、ミスタッチとかまちがうってことですか?」
「はい、そうです」
「それはしかたないでしょう。そんなの、だれだってまちがいますよ」
「いやいや、というか、やっぱりトシ取ってっていう感じが……」とワシはため息をついた。
先生「します?」
「はいっ、すごくしますっ!」
「ちっともしません、そんなの」
は?
ワシ「えっ? そ、そうですか?」
「はい、春子さんのレッスンしていて、トシ取ってる感じなんてぜんぜんしません」
はあああっ?!
そ、そんなコトバ、ここ十年間いちども聞いたことがないっ!
「えっ?! そ、そ、そうなんですかっ?!」
「むしろ逆です。ものすごく柔軟性が高い。ある曲でミスタッチが多いとかそんなのはどうだっていいんです。それより、指導したことをすごく柔軟に受け入れて、それに関してとてもたくさん試していますね」
「そうですか???」
「はい、そして心もすごくこう、なんていうんでしょう、凝り固まらずやわらかく学んでいるなってすごく思います」
「はああ? ありがとうございます、そうですか? はい? わかりました? はい? では、がんばります」
何が起きたのかさっぱりわからないままに、ただペコペコおじぎを繰り返して先生のお宅をあとにした。
そりゃあ、先生が「トシ取ってるとは感じない」と言ってくださったことに対して、もちろんうれしいという気もちはあるけれども、はあ?どうしてピアノだけは?
とっさに思い浮かんだことは、いやそれは先生の教えかたがすばらしすぎるからでしょ? それに尽きるけどなあ。だいたいコドモのころに習っていたピアノの先生は、こんなにわかりやすく懇切ていねいに教えてくれなかったもんね。お手本演奏もあまりしてもらった記憶がないなあ。
だからまあ、先生がすごいから、自動的にいろいろできるようになりつつあるだけだと、そういうふうにしか思えないんだけどね。練習だってそんなにしてるわけじゃないのにね。
ただ、ふと思ったのは、もしかしたらワシってピアノを弾くのが向いていることかもしれないなあ。
接客の仕事ができないのは、接客業が向いていないからかもしれない。
ピアノの先生に「トシ取ってるとは感じない」って言われるのは、もしかするとピアノが向いているからかもしれない。
へええ、そうなんだあ。
ピアノを弾くことは楽しい。夢中になれる。それだけ好きなものだったら、ほんとうは他人の評価は必要じゃないね。べつに先生にホメられなくても、好きだからという理由だけで楽しんでいい。
けれどもそこで、プラスアルファとして先生にこんなふうに言っていただけるなんて、それはもう望外のよろこびだね。教えていただいたことのほんの一部しかできていないのにね。
しかし、じっさいにはあと数日で58才になるというこのときに、先生がおっしゃってくれたことばは、そうだね、ちょうど贈り物としてありがたく受けとらせていただこう。