大塚あやこさんの個人セッションを受けてきた。あやさん(とお呼びすることになっている)のセッションサロン/淨音堂(きよねどう)をひっそりお訪ねした。
あやさんのセッションを受けるのはこれが2回目である。前回は去年の3月だった。そして、その翌月4月からピアノのレッスンを再開して今の自分がある。さらに先月からは、あやさんが開催されている 「カウンセラー養成講座」(ビリーフリセット・リーダーズ講座(通称・BRC)5期)に通いはじめた。その講座受講生の特典として、あやさんの個人セッションを受けられるので、今回お願いしてサロンへうかがった次第だ。
しかし、セッションの展開があまりにも衝撃的だった。私としては、ごく表層にある問題、たとえば「働くのがイヤだ」とか「物忘れがどうの」とか「カウンセリングの勉強をする気がしない」とかを相談させていただくつもりだった。
けれども、あやさんはもっと「根源的なモノ」に迫るつもりだったのだ。本人ではぜったいに気づくことができない「無意識下にある何者か」に切り込むつもりだった。
結果的に、それは「『母方の家系』の問題を私が背負っている」ことだと判明した。「個人の問題」じゃなかった。「家系の問題」だった! いや……、それはもうまったくわからなかった。いちども考えたことがなかった。
あやさんは、「お母さんの家系である『S家』で『失われた女性たち』の想いを、春子さんが背負っているんですよ」という。
「S家」で「失われた女性たち」って……?!
ブログではときどき書いているとおり、私の母には「3人の母」がいた。実母(母が6才のときに家出)、継母1号(母を虐待、若くして病死)、継母2号(結婚後早くに自殺)の3人だ。
母方で亡くなったヒトのうち、私がしょっちゅう思い出すのは、継母1号の実の娘のことだ。母が小学生高学年のころに、継母1号に赤ちゃんができた。女の子だった。1号さんは、自分のコドモができたから、継子にいっそうつらく当たった。ジャマだったのだ。けれども、空襲の際、赤ちゃんは大やけどを負って亡くなった。継子は生きていたというのに。
赤ちゃんのなまえは博子ちゃんだった。博子ちゃんの話は母からたびたび聞いた。博子ちゃんが生まれたせいで母はよけいに虐待されたというのに、博子ちゃんはとてもかわいかったらしい。防空壕のなかで炎につつまれたとき、博子ちゃんの泣き声だけが聞こえていたそうだ。
私は、博子ちゃんのことをずっと考えていた。母の身代わりになってくれたように思えてならなかった。だからいまでもしばしば思い出す。現在世間は新型ウイルスでたいへんらしいが、私はこう思っていた。え?戦争とどっちがたいへんだろう? 博子ちゃんが死んじゃったのに。それよりたいへんなことってあるの?
そして、母方でもうひとり気がかりなヒトがいた。それは、継母1号さんがのちに産んだ息子の奥さんだった。S家に嫁いできたわけだが、離婚したのち自殺した。
まあ、私にとってはこれまで当たり前の事実だったけれど、合計5人もの女性がS家からいなくなっているのだ。そして、あやさんは彼女たちのことを「失われた女性たち」と言っているのだ。
無意識の領域まで介入されるセッションは非常に疲れる。それだけ根底から変化できるわけだが、これ以上ブログを書く余力なし。つづきは明日に。