セッションでは、私が4才のときの「場」をセッションルームで再現することになった。まだ妹が生まれる前だ。その当時私が何を感じていたのか、それを探るためだった。
一番はじめに父の椅子を置く。つぎに母の椅子を置く。そして「父方の家系」を代表する椅子を配置し、さらに「母方の家系」を表わす椅子を置いた。自分が位置する椅子も置くのだが、その椅子はほかのだれからもうんと離れて、部屋の片隅に置かざるをえなかった。
そして、ひとつだけ座布団を置くことになった。それは「失われた女性たち」がいる場だった。母方の家系で5人の女性がいなくなっている。家出1人、病死1人、焼死1人、自殺2人。その女性たちの存在をあらわす座布団だった。
まずはじめに私は、部屋の片隅にある自分の椅子に座った。座ってみて何を感じるか? あやさん(大塚あやこさん)から尋ねられた。
はじめに感じたのはカラダの重さだった。おなかの中に大きな黒い石の塊が詰まっているようだった。そして「冷たさ」を感じてきた。下半身は水風呂に浸かっているかのようだった。肩のあたりはまるで濡れた大きな布をかぶせられているようだった。びっしょり濡れた布をかぶせられて氷のように冷え切っていた。それが、4才の私が抱いていた感覚だった。
あやさんは、ひざ掛けを持ってきて私の肩にかけた。あたたかいはずのひざ掛けなのに、かけられたその布は、水を含んでずっしり重く冷たく、井戸の底で水浸しになっているような気分になった。
するとあやさんがこう言われた。
「その水で濡れた布は、『失われた女性たち』の想いなんですよ。春子さんはその女性たちの想いをずっと背負ってきたんです」
それは、にわかには信じられなかった
けれども私はずっと長いあいだその「失われた女性たち」のことを考えてはいた。一度も会っていないヒトもいるのだが、しかしどんな思いでこの世を去ったんだろうとなぜか気にしていた。もっともよく考えていた博子ちゃんは、たぶん70年以上前に赤ちゃんのときに亡くなったというのに、それでもふと思い出していた。
その「失われた女性たち」の想念を、すでに4才のときから感じていたかと思うと衝撃だった。おそらく私が生まれてきたときからそうなることに決まっていたのだろう。
しかしちょうどいま、私が思うのは、「生きていること」と「死んでいること」にあまり違いはないなあということだ。すでにあちら側に行ってしまったヒトたちとつながっていることがわかって、ああそうなんだ、生きているか死んでいるか、ほとんど変わりないなあと思っている。
すると、いまのうわべだけの悩みなんてどうでもいいことなんだとわかった。仕事がキラいだとか物忘れがひどいとかピアノの練習時間とか、そんなものは「だれかの存在」の前ではどうでもいいことばかりだ。
ただひとつだけ彼女たちと分かち合えることがある。それはピアノを弾くことだ。とくにバッハを弾くこと。それは彼女たちの魂のなぐさめでもあり、私の魂のなぐさめでもあるから。
ピアノを弾くということに、うまく弾けるかどうかなんて意味がなかった。私がピアノを弾くのは、彼女たちがたしかにこの世に存在したということを伝えたいからかもしれない。