先日受けた個人セッション、劇薬すぎた。副作用というか揺り戻しというかデトックスというか、もう10日たつというのにまだしんどすぎる。根本から変化するための「過程」と思ってじっと耐えるしかないか。
今日は唐突に「音楽に対するタブー」が湧いてきて困惑する。「音楽」「楽器」「ピアノ」といった文字を見ると、うわっ!って目をそむけたくなる。もうすっかりよくなったかなあと思っていたのに再発した。これも揺り戻しのひとつだろうね。
にもかかわらず、ピアノの練習は変わりなくやる。ホントは昨日のうちにやっておくべき、シンフォニアの新しい課題12番の指使いもなんとか決めておく。部分練習やって、5分割練習やって、そこまでで2時間かかってしまい通し練習までは行きつけなかった。なんかバッハは異様にしつこくやりたくなる。
「ピアノ」という文字を、いまこうして打っていてもゾワッと違和感を覚えるのに、そんなのもぜんぶねじ伏せて「とにかくバッハ」さえあったらなんとかなるみたいで、そしたらじゃあいったい私はなにをめざしているか?といえば、ひたすら「平均律」にたどりつきたいだけみたいだ。
あんなに「山」が好きだったのにね。ピアノを再開してからでも、山は別格で、一点の曇りもなくしあわせになれる存在だったけど、あっさり逆転してしまった。もうこんなのはなりゆきに任せるしかしょうがない。
「音楽」に対してまだなんか埋まっていそうだから、それこそ自己探求としてカウンセリングの勉強をやるべきなのだが、これはもうぜんぜんやる気なし。ここまでそっぽを向いていたいのは、やっぱり「見たくなくてフタしているなにか」がある証拠でもある。とアタマでわかっていても行動は起こせない。
感情はコントロールできない。それがますますひどくなってくる。ここしばらく猛烈に猫を飼いたくなっていたのに、いまは土星に住みたくなった。あの輪っかがいつも見える世界にあこがれる。いまのマンションは去年7月に引っ越したばかりだというのに。
そういえば、父ちゃんが脳梗塞で寝たきりになったとき、とりあえず気になることは早いとこ質問しておこうと、私が「なんの星がいちばん好き?」と尋ねたら、「かに星雲」という答えだった。「なんの曲がいちばん好き?」は、「ムゼッタのワルツ」だった。プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」のアリアだ。
うちの親はふたりともバッハを聴かなかった。私がバッハを好きになったのは、中学高校のとき聞いていた、NHK-FMラジオ「バロック音楽のたのしみ」という番組のおかげだ。とくに「服部幸三さん」のバッハ愛にあふれた解説がすばらしかった。
あ、そうか。よく考えたら服部幸三さんがいまの私をこしらえてくれたのか。へえ、そうなんだ。猫でも土星でもべつになんでも好きになってたらいいけど、揺るぎなくバッハを弾いていたい大元が服部さんだとわかって、ああそうか、ヒトの影響ってすごいもんだなあと感慨深かった。