パートを休むことにした。今朝7時にいちおう目覚ましで起きるには起きたんだが、あかん、ふとんから出られない。うむ、胃が痛いじゃないか。ああパート行く気ゼロだなあと思ったので休むことにした。
なんだかね、電話するのもめんどくさくてさあ、ずっとふとんの中でうだうだしてて、とりあえず始業時刻の5分前にやっと電話して「すげえ体調悪いので休みます」っていかにも具合悪そうにボソボソつぶやいて早々に電話を切った。
そのあとは堂々ともう一度寝直した。つぎに目が覚めたら午後3時だった。さすがにびっくりした。7時間近く熟睡していたことになる。こりゃ休んで正解だったなと納得する。すべてがめんどくさくてメシを食う気も起こらない。
コーヒーだけ飲んでうだうだしている。そのうち明日もパート行く気ねーよなと思いはじめて、そうだ、明日も休もうと決心する。
職場のLINEに「明日も休みます。すみません、だれか代わってください」と入れとく。そのあとは先輩パートさんたちがてんやわんやしてくれた。だれだったら午前は出れるとか、私は午後出られなくてごめんなさいとかみんな大騒ぎしていた。
そりゃね、こんなに仕事ができない私でもいちおうシフトを埋めてるから、そこに穴空いたらみんな困るわな。でもいろんなヒトが調整してくれて明日も休めることになった。私も最低限の常識みたいなものは保有しているので、関係各所に念入りにお礼を入れといた。
でもつくづく本当は永遠にパート行きたくないなあと思った。たかが2日休むだけでもめんどくさいったらありゃしない。仕事そのものになんの興味もないし、いったいなんで毎日あんなことをしに出勤するんだろう?
そういうめんどくさいことを毎日長時間つづけるのが当たり前の世の中だろうに、なぜか私はそのシステムに慣れることができない。18才で働きはじめて以来ただの一度も働くのを楽しいと思ったことがない。
正確に言うと、「楽しいとムリやり自分に思い込ませよう」としていた時期はあったね。だって、そうでもしないと人生のつじつまが合わなくなっちゃうからね。しかし、いま思うとそれはかえって逆効果だった。自分の本音をごまかしすぎた反動で、いま余計にパートがイヤなんだ。
さて、いまのパート先はおそらく良い職場なんだろう。いろんなヒトが「春子さん、ゆっくり休んでください」とLINEしてくれた。
でもそれはそれ、これはこれ。これってなにかといえば、やっぱり働きたくないなあってこと。あとついでにどうしてもやれないこととしてもうひとつ、カウンセラー養成講座の課題がぜんぜんできない。
あらためてよく考えたら、仕事とカウンセリングの勉強はやっぱりやりたいことじゃないんだよね。とくにカウンセリングは以前から興味はあったものの、いざ受講をはじめたらさっぱり勉強できない。する気が起きないということはやりたいことじゃないんだろうね。
じゃあなんだったら勝手にできますか?といえば、唯一ピアノの練習だけは自動的に毎日やっとるわ。
こりゃどうしてだろ? まあそんなにね、ピアノって底が抜けるほど好きってわけじゃなくてね。たぶん比べたらいっちゃん好きなのは「山」。あれはつねに「至福のよろこび」が得られる場所だからね。ピアノなんてヘタクソすぎて練習してたらとてもじゃないけどよろこびなんて湧いてこねーじゃん。
それでも弾くのはどうしてか?というと、まあとりあえず手近にあるしね。日中はグランドピアノが弾けるし、夜9時過ぎたら電子ピアノがあるし。なんか鍵盤見たらとりあえず弾きたくなるよね。で、シンフォニアの楽譜とか開いてあったら、弾けるようにしたいってムキになるじゃん?
それでいつものようにシンフォニアをねちょねちょやってたら、結局やっとメシ食ったのは晩の8時だった。基本的に食べることにも興味がうすいからこういう順番になってしまった。
自動モードでピアノを練習してしまう理由のひとつに、ピアノのレッスンがヤバいってのもあるよね。ほぼ毎週レッスンだからね。毎週締め切りがあるからなんとかするわな。レッスンに行ったら行ったで、ますますアオられるようなヤバいレッスンだしね。
なんかエラいもんはじめちまったなあって思うけど、たぶんこれをやっておいたら後悔することなく死ねるんだと思う。
そうそう、ピアノは「よく死ぬための準備」のひとつ。