「やってみたいこと」って、とりあえずはじめると勝手にどんどんおもしろくなるんだなあ。
両親とも音楽が好きだったし、ウチではほぼ毎日レコードがかかっていて、私も小さいころからピアノを弾いていて、ま、そんなのが当たり前だった。でもゼニがないから13才でピアノをやめることになり、そのあとは自分でFMラジオを聴いてモソモソ楽しんでいるつもりだった。
けれどもいま振り返ると、ピアノをやめたことは相当ショックだったみたいだ。自分のなかで、ピアノが厳重な禁止事項になってしまっていた。いつのまにか「封印」していた。
だが、人生でどうしても必要なことって消えてなくならない。しっかり封印して見ないことにしていたのに、10年ぐらいまえからどうも奥のほうでウニョウニョうごめきはじめてしまった。それまで山登りだけで満足していたのにね。
なんだけど、妙に音楽との距離感がしっくりこなくて、あれ?ヘンだな、なんでだろ?となった。そのとき私は、たしかに悩んでいた。でもその悩みはそのときはじめて出てきたものではなくて、もっとずっとむかしからひっからまっていたモノだった。
まあでも、そんな悩みはだれにもわかってもらえないとハナからあきらめていた。そのころも心理学セミナーに行ったりしていたが、話すことすら思い浮かばなかった。
こういうとき、潜在意識は非常に優秀だ。「このヒトに会うといい」と自動的に答えを出してくれる。ちゃんとそういうヒトに会えるようにセッティングしてくれる。で、大塚あやこさん(心理コンサルタント/音楽家)に出会った。それが、いまからちょうど3年前の真夏。
大塚あやこさんと根本裕幸さん(カウンセラー/作家)のおかげで、絡まり合っていた糸が徐々にときほぐれてきた。
去年3月、大塚あやこさんの個人セッションを受けて、どーんと背中を押されて、4月にはピアノのレッスンを再開する。ひええ、44年ぶりだよぉーっ!て冷や汗かいてるうちに、レッスンはどんどん進む。ピアノの先生は「こうするともっとピアノが楽しくなりますよー」みたいな魔法をせっせとかけてくれる。
そしたら、あれ、ほんとふしぎ。勝手にいろんなモノが降ってくるわ。ピアノそのものはもちろんのこと、バレエだのバロック・ダンスだの、文学も映画も、べつに頼みもしていないのにつぎつぎと運ばれてくる。
雄大な自然はすばらしい。揺るぎなく永遠にそこにある。すぐ手が届く。私がいちばんよく知っている悦楽。あの透明な美酒のような幸福。
けれども、人間がなにかに憑かれたように噴出した産物もすごいもんだねえ、おもしろいねえ、ハマッちゃうねえ。そこには「いのち」が躍動している。
ソレを見るのもやるのも、え?! こんなに楽しいっ?! てか、やらずにおれんっ?! 狂気とかエロスとか、え?! そんなん山にないよなっ?! でもそんな生肉みたいなヤツ、食ったらやみつきになってもうたわっ!
よろしいですね、狂うって。いろいろ滴らせるってスゲーことなんだね、ふっふっふ。そうかそうか、私はそーゆーことにも熱中するイキモノだったんだなと、うむ、自己探求は順調だ。