パート先では、昨日私が大失敗したため、今日も引きつづき修復に大わらわである。私にできることはほとんどないので、ふつうの仕事をこれまたふつうにまちがえながらボチボチやっていた。
ま、ことの起こりは、私がお客さんからの伝言をすっかり忘れ果てていたからである。でもさ、たとえばこの要件をお客さんがメモで渡してくれたらこんなことにはならなかった。
べつにお客さんが悪いと言いたいのではない。そもそも、私はだれかになにかを伝えるときは必ずメモに書いて渡す。そうでないと、ちゃんとわかってもらえているのか心配でしょうがない。それは、逆に私が指示を受けるときに、口頭でちゃちゃっとしゃべられると、まったく記憶できないからだ。
しかし世の中の大半のヒトは、口でささっと話してもう伝わったと思っているし、聞いたほうもちゃんと覚えている。私みたいにぜんぶ紙に書いてどーのこーのばかりしているヒトのほうが圧倒的に少ない。
ちなみに、ウチの両親はふたりともがっつり「メモ派」だったので、ウチのあちこちにメモが貼り付けてあった。定例的に起こるヤツは、専用のメモを作成して繰り返し使用する。複数の確認が必要なモノは、チェックリストが作られていた。外出先別の持参物チェックリストとか、めいめいが保有している。
親に連絡することは、ぜんぶ紙に書いて渡していた。まあもう字が書けるころにはそんな風習に染まっていたから、ソレが当たり前になっていた。
なので世間のヒトたちが、ほとんど口頭でやりとりしているのがふしぎだった。まあ、いまはメールやラインがあるからかなりマシだけど、対面接客の仕事はねえ、困るんだよね。
私自身、なぜお客さんを目の前にすると困惑してしまうのか、それをよくよく考えてみたら、結局「必要な要件」以外の情報が多すぎるからだと気がついた。
天気の話とか、出しなに犬に引っかかれたとか、おばあちゃんがころんだとか、役場に行かないといけないとか、そういう種々雑多の情報のなかから、たまたままぎれこんでいる「必要な要件」を的確に抽出しないといけないからだ。
私は、それができないんだよね。ああ、私は自動販売機になりたい。お客さんからお金を受け取り、お客さんが押したボタンに該当する商品を渡す。しかも終始無言でいい。自動販売機になる仕事だったらできそうだ。
河合隼雄(臨床心理学)がどこかで、「クライアント(相談者)が座っているとするでしょ? そしたら、それは『宇宙ひとつ』が座っているのとおなじなんです」って書いていた。たぶん不登校児のカウンセリングだったと思う。
そうだよねえ、不登校だろうが元気に学校行っていようが、子どもだろうがオトナだろうが寝たきりだろうが、「人間ひとりがソコに存在する」というのは、まさしく「宇宙ひとつが存在する」のに匹敵するよね。
たぶん私は、その「宇宙」に幻惑されてしまっているような気がする。ペットの犬に引っかかれてうれしそうにしているから、ああそんなにペットかわいいんだなあ、ほかに家族はいるのかなあとか、ばあちゃんころんだって骨折してないかとか、せっかちそうだから私がウザいにちがいないとか、なんかいちいち過剰反応してぶわぁっと妄想が炸裂する。
んで、用件はなんだっけ?ってなる。
そうか、私は「散漫」すぎるんだよね。おまえ、自動販売機になりたいんだろ? ボタンにだけ反応すりゃいいのになにやっとんのっ?!
【結論】ほんまに自動販売機をめざそう。お客さんの人生に反応しないで、押されたボタンにだけ反応すること。