私と母は、まったく同じモノを欲しがっていた|ビリーフリセット・リーダーズ講座 第6講 1日目 その1

カウンセラー養成講座「ビリーフリセット・リーダーズ講座」第6講に出席する。

今年3月~7月に実施された第1~5講が「ベーシック」であった。8月はなにもなくて、なんにもないから復習もさっぱりできないまま、9月~12月/第6~9講「アドバンス」のうち、今日から第6講がはじまった。

といっても、昨日のうちにぷらっとこだまでのんびり東京入りしておいたので、ベーシックのときみたいに早朝5時にウチを出ないかんことはなくて、かえって助かった。

昨夜1時就寝、今朝は8時起床なので、寝はじゅうぶん足りていた。しかし私のことなので時間がなくなりぱっつんぱっつんで、ナゾに息せき切って神奈川県の三浦海岸駅に向かう。


じつは、講座の夜間プログラムで、バイオリンのピアノ伴奏をすることになっていて、その直前練習を講座がはじまるまえにさせてもらえる。それもあってあわててシャトルバスで宿泊施設もある会場へ。

最上14階にある会場は、海が見下ろせるとてもすばらしいロケーションだった。じきにバイオリニストのYさんも到着して、さっそく合わせ練習をさせてもらったが、なんかYさんはお盆のときよりいちだんとウマくなっておられた。すんません、私なんかが失礼だけど。

げ、どうしよう、私のヘタクソがヤベーじゃんと蒼くなったものの、Yさんの流麗な演奏に合わせさせてもらうと、伴奏まで安定してきた。お話を聞くと、Yさんは先日以降にレコーディングの仕事が入ってものすごく集中されたようで、あ、それが好影響を及ぼしているのかなあと思わせられるいい演奏だ。

さらっと練習を済ませると、まもなく講座がはじまった。ちょっと座学があったものの、そのあとはたっぷり実践セッションになった。今回は「エンプティ・チェア」というメソッドをじっくり丸一日学ぶ。


エンプティ・チェアとは、たとえばよくあるのはイスをふたつ置いて、ひとつは「5才の自分のイス」、もうひとつは「お母さんのイス」とする。

自分で「5才の私です」と宣言してから「5才の自分のイス」に座り、お母さんに対して言いたいことを言ってみる。「いやだったこと」「ほしかったこと」を話してみる。

目の前にある「空のイス」(エンプティ・チェア)に向かって、まるでそこに当時のお母さんがいるかのように話しかける。

そのあと、こんどは「お母さんです」と宣言して「お母さんのイス」に座る。ふしぎなことに「お母さんのイス」に座ると、「お母さんの気もち」がなぜかスルスルと出てくる。まるでイタコのように語りはじめる。これがこのメソッドの非常に興味深いところだ。

だれもが「お母さんのイス」に座ると、お母さんらしい顔つきになり、お母さんのことばで話しはじめる。そして、自分で話しながら「そうか、お母さんはそういう気もちだったんだな」と気づいて驚く。


大塚あやこさんの解説では、このメソッドにまったくはじめて接するヒトでも、ちゃんと「お母さん」になれるのだという。それは、だれでも「自分の内面に存在するお母さん」を持っているからだ。

もう現実のお母さんは、トシ取って介護が必要な身の上だったりするのに、内面に存在するお母さんはずっと変わらない。その「内面のお母さん」と向き合い、対話を重ね、ときには激しく戦ったりする。

そうして、小さいころの自分が封じ込めていた感情を最後まできちんと感じ切る。かつて「未完了だった感情」をちゃんと「本当はそう感じていたよねえ」と感じてあげる。

感じると、感情は成仏する。ようやく過ぎ去ってくれる。


私は魔が差して、あやさん(大塚あやこさん)がみんなの前でやるデモセッションに立候補してしまった。まあ、公開セッションではしょっちゅう魔が差しっぱなしでいつものことか。

そして、「5才の私」と「お母さん」のイスに代わる代わる座り直しながら、この不可思議なセッションを体験した。

いろいろな思いが去来したが、そのときはじめてふと思ったのは、「母ちゃんって、自分の親のことばかり気にしていて、自分の子どもには関心がないんだなあ」ってことだった。

そして、私がいちばん母ちゃんに望んでいたことは、結局「笑ってくれて、抱きしめてほしい」ということだった。しかし、そのとき同時に母の気もちにも気がついた。そうだ、母こそがそれを望んでいたんだなあと。

あやさんが言われた。「ふたりとも、同じ思いだったんですね。なによりも共感できることですよね」


ああ、それはそのとおりだと感慨深かった。母も私も、自分のお母さんに対して「自分を見てほしい。自分に笑いかけてほしい。自分を抱きしめてほしい」と、ただそれだけを願っていた。

まさに私が欲しているからこそ、母の同じ思いは痛感できた。母ちゃんもそうだったんだね。そんなにつらかったんだねと。

だったら、それでいいよ。
そんなにしんどいんだったら、それ以上のことはかまわないよ。
それでもせいいっぱいのことはしてくれたんだ。
ありがとう。

このBRCでさまざまなセッションを通して少しずつ母から距離を取ることができたが、このエンプティ・チェアでは「最後の執着」を手放せたかのように思えた。

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