「親に対して怒りをぶつける」というのは、子どもにとっては非常に大きなタブーだ。思春期前の子どもは「親に怒りを持つ」ことをとても強く抑圧している。
といったことが、いまの私ならよくわかる。
なので、やにわに父に向かって怒鳴りはじめた自分が、うわっ!なんてことしているんだととっさに怖くなった。しかし、そんな私を制止するヒトはだれもいない。ふと、これでいいんだ、私は正しいことをしているという気になった。
それで、さらにつづけて父を激しくののしった。だが同時にたじろいでいた。どんなコトバを発したのかもう覚えていない。最大のタブーを破りつつ、けれども13才の私を救うためにはどうしてもやらないといけない。私は吠えつづけた。
気がついたら、私は四つん這いになって下を向いて、はあはあと息を荒げていた。いつのまにかイスから床にころがっていたようだ。かたわらにいるらしい認定カウンセラー/堀江さなえさんが、私の肩をやさしくなでてくれていてそのぬくもりにハッとする。
遠くに小さく「大変だったよね。つらかったよね。もうだいじょうぶだよ」とさえさん(堀江さなえさん)の声が聞こえる。私はようやくゆっくり顔を上げて、父が座っている「空のイス」のほうを見た。父は、あっけに取られたような顔つきをしていた。
それを見て私はすぐに、ああそうか、父ちゃんはわからんかったんやなあと思った。私がこんなに傷ついていることをまったく想像できなかったのだ。それだけのことだった。しばらくのあいだ、私は床に正座して父ちゃんのほうを見つめていた。
どのぐらいの時間が過ぎたのかわからないが、まるで芝居の打ち合わせのようにこそっと「じゃあ、いっぺんお父さんのイスに座ってみましょうか」ということになった。怒鳴りちらし大暴れをしたあとだというのに、私は「はい」とふつうに返事をして、こんどは「父のイス」に座って「13才の私」に対峙した。
すると、私は容易に「父ちゃん」になった。父ちゃんになった私の口からは「すまんかった」というコトバが漏れ出た。「すまんかったな。わからんかった。それでええと思てたんや」
そのあと、セッションがどんなふうに終わったのか記憶にない。ともかく終わったらしくぼーっとしていたら、べつの認定カウンセラーさんが「『出てきて』よかったね」と声をかけてくれた。「前にもそんなことがあってね、ふだんすごくおとなしい女性が、おっさんみたいな声で怒鳴りはじめたことがあったよ。そのあと、その女性はすごく変わってね。だから春子さんも楽しみだね。よかったね」
日中のプログラムが終了して、夕食を取るレストランに入ったとき、またべつの認定カウンセラーさんが近づいて来て「アレは春子さんだったの?」と言う。私は気恥ずかしさを覚えつつ「はい」と答えると、そのカウンセラーさんは「去年は私だったの。イス蹴とばしてね。でもよかったねえ」とニコニコしている。
ふんわりやわらかい雰囲気のそのヒトが、イスを蹴とばすなんてまったく想像もつかない。けど、みんなに「よかったねえ、出てきて」って言われて、あれ?そっか、やっぱりああなって正解やったんや、ふう、あれでよかったんやと納得する。
しかし正気にもどってみると、もう父ちゃんに対する怒りはぜんぜん湧いてこない。てか、あんなに怒り狂っていた13才の私には、またつながれない感じである。べつにとくだん「変化」なんてあらわれない。狐につままれたようで、わめいたことなんかすっかり忘れて夕食をぱくぱく食べた。おいしかった。
そして、夜のプログラムがはじまった。このときに、私はバイオリン演奏のピアノ伴奏をすることになっていた。曲は「タイスの瞑想曲」である。まずまず練習しておいたが、ちゃんと弾けるか心配ではあった。
大塚あやこさんが、まず一曲即興演奏してくれた。ピアノは、あやさん(大塚あやこさん)がご自宅からわざわざ持って来た電子ピアノだが、電子ピアノであってもあやさんが奏でるとほんとにすばらしく、グランドピアノのような表現があふれ出る。
そのあと、バイオリニストのYさんとふたりでみんなの前に出た。あやさんは、Yさんと私の紹介をしてくれた。私のことを「小さいときにピアノを習っていて、でもやめないといけないことになって、それから本当にものすごく大変なことがいっぱいあって、それでも去年から本格的にピアノを再開されたんです」と言ってくれた。
その「ものすごく大変なことがいっぱいあって」というのを聞いたとき、ほっとした。ああ、あやさんにもわかってもらえていたなあと、とてもうれしかった。うれしくて緊張が解けてリラックスして、ピアノでの出だし2小節もまあまあうまく弾けた。あとはYさんのうつくしい音色に沿ってゆるゆると弾いていくだけでOKだった。
むずかしいところも落ち着いて通過した。バイオリンのソロのところは、清明な気もちでゆったり耳を傾け、そしてピアノが入るところはYさんといっしょにちょっと笑顔でうなづいて、ぴったり合わせてまた弾きはじめられた。おしまいのほうで一ヵ所私がヨロめいたが、大きくくずれることもなく、最後までYさんについていくことができた。
みなさんから拍手をいただいて、ああよかったなあと安堵した。いろいろあったけどね、今夜のこの演奏のためにあったのかなあと感慨深かった。
そのあとの「サウンド瞑想」がまたすごかった。「一音に含まれるエネルギー」をそれぞれの「音叉」で感じ取る。音叉の音色を味わったのち、同じ音程で声を出す。そこにあやさんの即興演奏が加わる。ひと通り演奏が終わると、沈黙もじゅうぶん感じる。沈黙も「音」と同じエネルギーがある。
「音」ってすごいパワーがあるんだね。一音のエネルギーを体感すると、調性の意味がわかるような気がした。ハ長調ならば「ド」という音に、ト長調ならば「ソ」という音に、それぞれ独特のエネルギーが込められているようだ。そして音叉の響きが心地よい。
第1チャクラから第7チャクラまで、それぞれに応じた周波数の音を感じながら瞑想を深めていく。私は「チャクラ」をぜんぜん知らなかったが、第1から第7までからだのどの部分にあたるのかくわしく説明してもらい、その部位の音がちゃんとそこに響くかどうか感じながらふしぎなひとときを過ごした。