私は、自分が住んでいるところにだれも来たことがない。つまり、実家にいたころに友だちのようなひとが来たこともないし、ひとり暮らしをしてからもそういうことがない。もともと友だちらしきひとがいないからそうなる。かろうじて、妹が一泊したのが8年ぐらいまえかな、いちどだけあった。あとはなんにもない。
なんにもないことをどう思っているか？といえば、そう、ここでほんとにすなおになってみると、ま、ほんとはつまらないと思っていた。このまま一生終わるのはエラくわびしい。
ところが、今日という日をもってそんな一生にならなくて済んだ。「ビリーフリセット・リーダーズ講座」の受講生であるAさんが私んとこのマンションに来たのだ。
なにしに来た？ いや、そりゃ自主トレーニングに来ましてな。だって次の講座までにエンプティ・チェアの練習せんとあかんのよ。それでAさんが練習できそうなレンタルルームを探してくれてたけど都会はけっこう高くて、そしたらAさんったら「うちの実家でやりませんか？」なんて言ってくれた。
Aさんはひとり暮らしの二十代だが、イス1個しかないんだって。いやでも、Aさんのご家族がいるとこでカウンセリング自主トレなんてムリムリ！ なので「じゃあちょっと遠いけど、私のウチはひとりだからどう？ 狭いけどイスはたくさんある」「いいですよ」
いやね、私はさ、もともと電子ピアノ持ってて、さらに去年グランドピアノ追加？して、それに常時座ってる机のイスと、好みで買ったひとり掛けのアームチェア1個と、イスばっかし4個もおましてな。
ババア一匹にイス4個はぜったい多すぎるな、そのうちどれか捨てようとモンモンしてたが、そうかっ！ エンプティ・チェアやれるやんっ！ 4人までいけるやんっ！ 人生どんな展開になるかわからんのう。
てめえ、汚部屋はどないした?!と胸ぐらをつかまれそうだが、いや、1ヵ月ほどまえからぼちぼち片づけはしていた。なにせ調律師さんを呼べないんで。ピアノ、音狂いっぱなしですげーヤベー。
なので、最盛期36個あった段ボールはすでにゼロになっており、もう一息のところでAさんのお声がかかり、本日12時半にはようやくひとが歩ける状態まで回復した。床可視率は70%超まで急上昇をとげた。
そのあとあわてて納豆メシをかき込んで、駅までクルマでAさんを迎えに行き、そのままうちに連れ込む。Aさん、私の部屋に入るなり「わあ、広いですねえ」
いや、広くなったのはつい一時間ほど前でさ、けさ毛布2枚とゴミ袋5個捨てて、それでもどうもならんヤツはぜんぶ風呂場にブチ込んでるだけ。
すっかりだまされたお姫さまは、アームチェアに腰かけて「このイス、いいですね」とおくつろぎである。そのイス、ニンゲンが座ってるの、はじめて見た。だいたい1年分の服の山がずーっと居座ってたんでね。あ、いちおう掃除機かけました。虫、湧いていないはず。
姫が「広いですよー、セッションできますねー」などと無邪気によろこんでくれるので、私「いや、去年までは5畳一間でさ、99万円の中古マンション買ってフルリフォームして住んでた」「へええ」「でも、6年住んで売っちゃった。グランドピアノ欲しかったから」
お姫さまはにっこりほほえんでパチパチと拍手してくれた。あ、ありがとう。恥ずかしい。
姫「カーテンもいいですね」 私「あ……はい、ありがとう。それね、3000枚のなかから選んだヤツ」「えーっ？」「インテリア好きでね。壁紙もね、7000枚ぐらい見たかな。そのなかでいっちゃん気に入ったヤツを貼ってもらって。あ、見本まだ持ってるよ」
私は、机の引出しからすぐに壁紙の見本を取り出した。なんですぐに見つかったんだろ。ほんと、奇跡だ。それをAさんに見せると「わあ、きれいですねえ。白じゃない」
私は感動した。カーテンも壁紙も、はじめてだれかが見てくれたことにひどく感動した。で、やっと気がついたよ。ほんとはもっとずっと前からだれかに見てほしかったんだと、はじめて自分のホンネがわかった。
それほど、私は寂しかったのだ。
言い訳ばかりしていたが、ほんとは寂しかった。「ひと付き合いがわずらわしい」「ひとりが気楽」「ひとりに慣れている」「べつに困っていない」「べつにだいじょうぶ」、いやそれは感情じゃない。ぜんぶ思考だった。思考で自分をゴマかしていた。
ほんとは「寂しい」という感情をずっと抱えていた。でも、その「寂しさ」を認めてあげていなかった。ずいぶん長いあいだ「あること」に気づいてあげられなくてごめんね。わかった。あったね。もうよくわかったよ。
そしたら、「寂しさ」はしゅーっと透明になった。灰色の煙のようだった「寂しさ」が、あっという間に見えなくなった。うわっ、これがウワサの成仏か?!と私は仰天した。
なにも知らないお姫さまは、「いいなあ、私もいつか家買いたいなあ」と笑っていた。
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