ええと、また気分が「落ちて」まして……キビしいのう。
でも「落ちる」と判別がつくものもある。
それは、「落ちていてもやれるモノ」って、結局それが自分に向いているモノだよねってこと。
ピアノ、「落ちている」と、まあかろうじてハノンをちょろっと10分ね。そのつぎ、バッハに行っちゃう。で、バッハに行っちゃったまま帰って来れねー。ツェルニーもモーツァルトも弾けねー。バッハを1時間半練習してさようなら。
モーツァルトのレッスンで、前からたびたび先生に「もっと楽しく!」って言われるんだよね。
で、本人はいちおう楽しいつもりだった。うん、モーツァルトも好きだよ。だからレッスンでもとても楽しく弾いてたはずなのに、でも「もっと楽しく、輝かしく、うつくしく!」って言われる。
ってことは、私の出してる音が「つまんなくて暗くてきちゃない」んだろね。うむー。
しかし、だ。いま気がついたが、バッハのレッスンで「楽しく!」って、そうだ、言われたことねーわっ!
それに、ウチで練習してるとき、ケツで拍子とってエンドレスで弾いてるのってバッハだけじゃん! さらに、いまだインベンションとシンフォニアもちょろちょろ弾いてる。フランス組曲第5番もね。
でも、モーツァルトは弾いてないわ。合格したソナタってどれも弾いてないよ。ショパンのワルツも弾かないなあ。
▼去年の発表会で弾いたシューベルト:楽興の時 第4番 嬰ハ短調 D780/4 Op.94-4
この曲、バッハの平均律のあるプレリュード(どれかわからん)によく似ているらしい。たしかCD(汚部屋に埋もれて見つからない)の解説にそう書いてあった。その話、ネットでもいちど見かけたかな。だから、シューベルトがバッハ平均律へのオマージュかねえって思って好きだった。
結局あたしゃ、バッハしか弾く気がねえみてーだ。
いやあ、これはピアノを再開したときはぜんぜん予想していなかった。モーツァルトもベートーベンもシューベルトもハイドンも、いつか弾くつもりで楽しみにしていた。
でもフタを開けたら、そうなんだねえ、私はバッハがほんとに好きなんだねえ。ふうん。
これは「山の好み」と非常に大きく異なる。私、山はどの山もまんべんなく好きなんだよ。3000m峰でも裏山でもしあわせになれる。雨だけはあかんけど、うん、雨でも楽しいっちゅー変態おるらしいが、私はソコはダメで晴れてくれないと至福を味わえない。
しかし、晴れてさえいれば、どんなにショボい山でもしあわせなんだよなあ。この山域しかあかんとか、そんなんおまへん。
だが、ピアノは「バッハ限定」らしいと悟りつつある。まあ、長生きできたらどうなるかわからんが、少なくともいまの私は、笹しか食えないパンダみてえだ。
ああ、もし毎日バッハだけを弾いていられたら……、そっかー、それが私のパラダイスか。
まさかこうなるとは思ってもいなかったけど、ふうん、なるほどね、「本来の自分」ってそんなにバッハと心中したいのね。