ちょっと予想外なのだが、いつの間にか「ピアノの沼」にズブズブはまりつつあってとまどっている。ふ、深いじゃん!
もうババアだから身体を使うことって期待していなかったんだよね。
そうそう、べつにピアノに限らないけど、「期待をしない」ということは「傷つかないための手段」だ。
期待をしない→どうせできないと思う→できないはずだからやってみない→たしかに傷つかない。でもなにも起こらないし変わらない。
ピアノでいっちゃん期待していなかったのは「速く弾くこと」だった。子どものころも先生に「遅い」と叱られていたし、そんなん、ババアになっての再開だったらぜったい速く弾けないと思っていた。
「速く弾くための弾きかた」をいまの先生に教わっても、熱を入れて練習する気が湧いてこなかった。それはやはり「期待していなかった」からだった。
どうせダメだろう。たっぷり練習したあげく「速く弾けない」とがっくりするよりも、さいしょから練習しないで「弾けないまま」のほうがマシだと思った。
そもそも過去にいちども速く弾けたためしがなかったので、そう弾けたときのイメージを持てなかった。「速く弾ける」というのは、専門的な訓練を長期間行なったひとしかデキないワザなんだと信じていた。
私はぜったいに速く弾けないんだから、ソコ掘るんじゃなくて、バッハとか多声のヤツの、声部弾き分けとかをがんばろうと思っていた。
「ばりばり速く弾く」のは、すっぱりあきらめていた。「あたしゃ、ばりばりはやらない。しっとりでええ。しっとりでいくねん」などと、ひとり火鉢のそばで首を振っていた。
でも、ちがった。
それは負け惜しみだった。
ほんとは、ばりばりもやりたかったのだ。
しかし「ばりばりはムリ」というブレーキはかなり強力で、いっかなはずれなかったし、自分が踏みしめている自覚もなかった。ブレーキかアクセルかなんて下向いてごそごそしてるとなんにも変化しない。
そうじゃなくて、アタマを上げてあたりを見回したら、ちょうど雄大な山並みが目に入ってきたような按配だった。おう、あそこに登りたいな。
それまで、先生のお手本演奏を聴いても、自分にはぜったいムリと思い込んでいたのだが、しかしどういうわけか「あ、私も弾けたらいいな」と思ってしまった、ふと。
で、ついふらふらと、ここ数日速く弾く練習をしてしまった。そんなに成果は上がらなかった。
さて、本日のレッスンにて。
ハノンのあと、ツェルニーを弾く。意を決して、かなり速いテンポで弾きはじめた。う、だいじょうぶか?! 怖い! そう、はじめて高速道路を走るかのごとく恐怖におそわれる。でも、停まれない。高速でブレーキ踏んだら追突されるやんけ!
ギリギリそのままのテンポで奇跡的に最後にたどり着く。はああ。
すると先生が「これはがんばりましたね。このぐらいで弾いていただくと、お伝えできることがたくさんあります」と言われた。
えーっ?! そ、そうなんですかっ?! ってなにっ?!
そしたら、そのあと指導してもらうことがほんとにたくさんありすぎて、なるほど、まさに高速道路を走るためのルールがこないにぎょーさんあるんやとほとほと感心した。下道と高速はぜんぜんちゃうやん!
で、今日はじめてわかったけど、「下道しか走れないひとに、高速の説明はしない」ということ。高速の入りかたは教えてもらったけどね。でも私は怖くてよう入らんかった。そしたら、その先のご指導はまだしてもらえてなかったんだよね。
けど、速く弾いて、なんとか弾けて、さらに速いテンポであるからこそ、効果的なテクニックをいくつも教えていただくと、いやあ、やっぱりすごくおもしろかった。それにばりばりはかっこええわ。音楽的なばりばりというのはやはり魅力的である。
なので、期待しないとかヘチマとか一気に飛び越えて、わあ、ばりばりめざそう! もっと速く弾けるようになりたい!と鼻の穴をふくらませていたのだが、先生いわく「やっと入り口くぐりましたからね」
え? い、入り口っすか?!
そっかー、2年かけてやっと入り口かー。
すいません、もうだいぶん前に「入り口」ぐらいは通過したと思っていたけど、あいたた、いまが「入り口」なんだ。
まあね、だいたいその曲に応じた「ふさわしいテンポ」というのがあるんだから、それにまったく達していない演奏って「入り口」もくぐっていないんだなあ。
ちんたらマイペースで弾くことが当たり前になっていたけど、うん、今日「高速教習」受けて、ママチャリ並みで走るのがいかにふさわしくないのか痛感したよ。