「ものすごくイヤなヤツ」から逃げたとしても、そのありがたみってべつに湧いてこねーな。
うん、それって直近だと「パート仕事」なんだが、ほんとべつにね、「働かなくていいことが、ああしあわせ!」って思わねーよ。
働いていたとき、あんなにうんざりしてたのに、もうなにも思い出さない。そのころの記憶がすでにうしなわれている。それでなくても記憶力が低下しているけど、当時なにをしていたのかさっぱりわからん。ああそうだ、いつか制服返しに行かないと。
その前のパートってなんだっけ? クビになったとこ? その前の前は? その前の前の前は?
もうぜんぶ過ぎてしまったことで、もともと「イヤなこと」なんて覚えていないもんだねえ。
じゃあ、仕事以外で「ものすごくイヤなヤツ」っていうと、母ちゃんになるのだが、そういえばもうめったに思い出さないね。まだ生きているらしいよ。いつだったか妹がラインで教えてくれた。
妹も私も母に会わなくなって何年も経ち、いまはときおり義理の弟が母のところへ行っているとか聞いた。母は生い立ちが複雑で、母の「お母さん」というのはかつて3人おって、その「2番目のお母さん」の次男が、どうやらたまに母ちゃんの相手をしているようだ。どんなひとか知らんけど。
まあ、うちの母ちゃんってものすごくタイヘンなヒトでな、めんどくさいからくわしく書かないが、いわゆる毒親かね。でもいま思うといいところもあったよ。
以前私はしばらく同居して介護していたが、やっぱり手に負えなくなってとちゅうで脱獄したんですわ。ほんま、あいさつもせんと。ヘルパーさんが来ているスキをねらってささーっと脱走して逃げよりました。
うん、たいていのことは逃げたらしまいや。
トンズラこいたらええねん。
しかし、あんなにイヤだった、てかそりゃもう単なる「イヤ」で済まないほど、たぶん自分が生まれたときからすったもんだしてきた相手から、ようやっと離れられて自由の身になったというのに、それもべつにねえ、「母ちゃんのめんどー見なくて、ああしあわせ!」とは思わねーんだよな。
そしたら、いまどういうときにしあわせか?というと、「ドレミファ|ソファミレ」をピアノでうまく弾けるとしあわせだ。すんません。
それもちっせー音でチマチマ弾くのがええねん。ちょっと離れたら聞こえないほど貧弱な音で「とととととととと」って弾くのがおもろいねん。できるだけちいせえ音で弾くのにツボッてる。それが好き。
で、パートはもちろん、介護もなにもかもしなくてよくて、日がな一日だらだらうだうだぐずくず、ピアノ→YouTube→ピアノ→YouTube→ピアノ→YouTubeってのをエンドレスで回す。
これが「しあわせ」だねえ。
さらにこれにプラス、あと「ハイキングを見据えたウォーキング」を加えると完璧だね。ウォーキング、まだ1日しかやっとらんが。
むかし一時期「引きこもり」やってた。
そのときも、1年365日これぜんぶ休日って毎日で、そしてハイキングも行っていたのだが、はれ? ハイキングにせっせと行けてたら「ヒッキーでぇす!」とか名乗れないのかね?
でもハイキング以外はネット漬けになっていて、本人はりっぱにヒッキーやってるつもりだった。なにせ働いていないし。
けれども、いまと比べるとそんなにしあわせじゃなかったんだ。
なんか「まだちがうなあ。まだつながれていないなあ」ってもどかしい思いがあったのだ。「ほんとにやりたいことに手が届いていない」感じがまだあった。
けど、いまはその「ほんとにやりたいこと」がピアノだとわかって、んで、毎日「とととととととと」って並べていて、メトロノームがひとつ上がるだの下がるだの、そういう「指の運動」ですっきりして、なんだ、それだけのことだったんだ。
自分が「どうしたらしあわせになれるか?」って、ぜんぜんわかっていなかったな。
長年ずっと「スゴい仕事」とか「エラい仕事」とかができたらしあわせになれると思い込んでいたけど、ソレ、仕事が目標じゃなくて、だれかから「すごい!」と認められたいだけだった。
そこらへんの大まちがいに気がついたら、なーんだ、私って「とととととととと」と「低めの山」だけで満たされるんだなってわかったよ。
そのふたつともそうだけど、どっちも「ちょいとだけ毎日」やらんと実現せえへんねん。筋肉は正直だねえ。
毎日ちょっと動く。YouTube見てるだけでは使わない筋肉を動かしてやる。すると、しあわせになれる。
「イヤなことからさっさと逃げて、かつ、筋肉をちょびっと動かす」とパラダイスが訪れるとわかったよ。