「筋肉は裏切らない」と思っていたが、関節とかはあっさり裏切りよるのう。
毎日20分ウォーキングしていたけど、股関節、ヒザ、足の裏が痛くて、今日は10分だけにした。ああもう、ババアになったら不便でしゃーない。
たった20分歩くのもあかんの? そうだな、いまはダメだな。そこまでおとろえちまったんだな。
作家の森村誠一(88才)が、老人性うつ病と認知症の体験を語っているインタビューを見かけた。そうそう、あのひとは登山をしていたひとだねと思って読んでいたら、「私が実践している健康法は昔から散歩だ。人間は足から衰えるといわれるので、できるだけペースを維持して、リズムよく歩くように心がけている。大学時代は山岳部で百名山を目指していたので足腰は強く腰も曲がっていない」と言っていて仰天した。
うそ~ん、そんな大むかしの貯金がまだ生きてるなんて、ふつうのひとはそうなん? 何十年も前に鍛えたなごりで88才でも足腰に自信があるなんてうらやましい。
でも、がっかりしたのはほんのちょっとだけだった。まあ、そのうちなんとかなるやろと楽観しているし、もしダメでもかまわない。
うん、私は「山」に関して、じつはもうどっちでもいいよと思うのである。このヘタレのまんまで二上山に登れなくても、ま、いいか。
その理由は明白で、むかしあまりにも登り尽くしたもんだから、もう未練がゼロなのだ。延べ600山? もうちょい多いか? なにせ底が抜けるほどやっといたから、まあもうどっちゃでもええわという気分だ。
いま当時を振り返ると、ああ、登りたいときに登り尽くしておいてほんまよかったわと感慨深い。ただもう登りたいという欲求に憑りつかれて、行きたいところは当たり前のように飛んで行っといてよかった。ゼニも時間もまったく考えなくて〇だった。
山に関しては、もう「完全燃焼」しているから、これから先も鷹揚でいられるのじゃよ。
で、そこまで山に惚れたんだったら、そのまま一生山ヤで終えるのがふつうなんだけどね。
そういえば、どっかの山ン中で出会った連中と、煮えたぎるほど熱く山を礼賛し合い、おたがい「わしらは山に登るために生まれたんじゃ。もういつどこで死んでも悔いはねえ。ええ人生じゃのう」といまにも涙を流さんばかりに感極まってたこともあるんだが、なんかとちゅうで旗色が変わったんだよね。
ちがう……、あたいは山だけじゃねえ。
そのころ、ピアニストB氏のCDにどハマりしましてのう。ほんまにね、いろんな雷が落ちてくる人生だわさ。
あ、もう頭文字のB氏じゃなくていいか。あのさ、アルフレート・ブレンデルというピアニストなんだよね。よくもまあ、山だけ登ってたら満足のはずの人生を狂わしてくれたのう。
ブレンデルは1931年生まれのピアニストで、2008年に引退。私は引退後にファンになったからじっさいに聴いたことがない。現在90才ながらも健在。
▼ブレンデル85歳記念限定ボックス。CD114枚。まだぜんぶ聴けてねーよ。
ブレンデルの演奏って、抑制的で深遠かなあ。で、主旋律を宙に浮かぶかのように響かせる。和音もポリフォニーもすごく分離して聞かせる。まるでオーケストラみたいに多彩な音色。
▼ブレンデルは、バッハの録音は1枚だけ。でも名演で知られているし、中古で安く出回っている。
ブレンデルがバッハをほとんど弾かなかったのは、師であるエトヴィン・フィッシャーのバッハがあまりにすばらしいから自分はやめておくことにしたという。なんかそういうのは、とても時代を感じる逸話だなあ。
いまはもう2021年にもなっちゃって、YouTubeで検索して聴いたり、YouTubeのおすすめにまんまとハマッたりで、むかし父ちゃんがレコードの聴き比べをしていたなんて、そんなめんどくさいことよくしていたなとあきれる。
しかし、ピアノの練習はいまもむかしもおんなじだねえ。毎日ちまちま弾くのはいっしょ。
ま、山で慣れてるからね、ちまちま一歩一歩でしょ。ロープウェイがあるとこでも好きこのんでちまちま登るでしょ。そういうのが5時間とか6時間とかいつもでしょ。
ブレンデルのせいで、山ヤからピアノに転向させられたけど、まあやってることはどっちもわりと似ていてとにかくちまちまに尽きる。