父の火葬日が決まりました

私の父が亡くなったのは去年の3月31日です。85才でした。その2年前に脳梗塞になり、以来ずっと寝たきりで入院していました。もう高齢ですから回復も見込めず、残念ですけどそのまま亡くなりました。

父は若いころから、自分が死んだときは献体したいと言っていました。献体とは、亡くなったあとに大学医学部などへ遺体を提供して、医学生や医師の研修などに利用してもらうことです。

父が自分でその手続きをできないうちに寝たきりになってしまったので、妹がかなり苦労して献体の手配をやってくれました。大学によって規約がちがうので、適切な大学を探すのに相当たいへんだったようです。

亡くなる三日前に病院から「もう食事が取れなくなりました」と連絡があり、次の日に妹といっしょに父を見舞いました。ずいぶん小さくやせ細っていましたが、まだ意識もあり目つきもハッキリしています。私たちの姿を認めると「ありがとう」と言ってくれました。でも、好きだったプチシューを妹が口もとに持っていっても食べられません。

「もうイヤなの? なにが食べたいの?」と尋ねるとかすれた声でうにゃうにゃ言いますが聞き取れません。マヒもあるのできちんと話せないのです。それで筆談用のホワイトボードとマーカーを差し出すと、動かせる右手でしっかり持って「アンパ」と書きました。「やっぱりアンパンだ」と妹とふたりでどっと笑いました。父はアンパンが大好きだったのです。「じゃあ、明日アンパンを持ってくるね」と言って病院をあとにしたのですが、結局それが父との最後の会話でした。

その日は病院から少し離れたホテルにふたりで泊まりました。父が思ったよりも元気そうだったので連泊するつもりだったのですが、次の日の午前10時28分に病院から電話。「血圧110、脈拍50です。急変しました」とのこと。あわててタクシーで駆けつけましたが、父は11時42分に息を引き取りました。

いろいろしないといけないことがあるのですが、気が動転してなにも手に付きません。とりあえず献体先の医大へはすぐに電話しました。父に着せるパジャマやカーディガンを選んだり、荷物を整理したりやらないといけないことがけっこうあります。ふたりで泣いたりあわてたりテンヤワンヤしている最中に、医大から電話があり午後3時ごろにはもう迎えが着くらしい。は、早すぎる!

こんなことなら荷物の整理なんかあとにしてもっと父といっしょに居ればよかったと後悔しきりです。ほぼ予定どおりにクルマが到着して、あっという間に父はストレッチャーに固定され、クルマに乗せられて連れて行かれました。

医大のスタッフのかたは「ゆっくりお別れなさってください」と十分気遣ってくれたものの、やっぱりそれほど時間を取れなくて、なにがなんだかわからないうちに父を見送ることになってしまいました。けれども献体は父の望みだったので、こういうさっぱりしたエンディングでよかったかもしれません。

さて、父はお葬式もいらないと言っていたのでそれもナシです。ただ、最後のセレモニーとして火葬があります。今日医大のSさんから電話がかかってきたので打ち合わせて、7月19日に火葬することになりました。午前中に荼毘に付すと決まっているそうなので、じゃあ前日に現地近くに泊まることになるでしょう。

先日、妹が「お骨はどうするの? やっぱ、骨壺? アマゾンでいっぱい売ってるよ!(*^_^*)」とメールをくれたので、私もアマゾンで小さいヤツをいろいろ見ていました。ウチの部屋狭いんですよ。5畳ちょっとしかないワンルームなのででっかい骨壺なんか困るんですよね。お墓ってもともとないし。

私「あのぉ、骨壺って持って行ってもいいんですか? 小さいほうがいいので」
Sさん「あ、そうですね、ええと地方によってもちがうんですね? こちらではわりあい大きなものにお納めするんですよ。そちらは小さいものをお使いになるのですか?」
私「いや、えっとウチが狭いのであんまり大きいものはアレなんで……」
Sさん「そうですか、では少し小さめのものをご用意しましょうか?」
私「(おおっ!助かる。骨壺買わなくていいの?)お、お願いします!」

Sさんは、以前もそうでしたがとても気を使って終始ていねいな話ぶりでした。それがお仕事なので、ある程度慣れて事務的な扱いがあっても当たり前だと思うのですが、このかたはまったくそんなところがありません。遺族の気もちや父の意思を尊重する思いがこもったやりとりでした。

少しためらわれたものの、私は思い切って尋ねました。
「父は、いつごろから解剖されるのですか?」
「4月10日からです」
Sさんはすぐに答えられました。
「そうですか、父は生前何度も献体したいと言っていましたから、お役に立てれば本望ですね」
「ありがとうございます」
Sさんはおだやかにお礼を言ってくれました。