栄光の光と影

妹からリクエストがありました。「B氏の愛娘、あのこわーいパンク姐さんのことも書いてください♪」とのこと。B氏は結局3回結婚しましたが、いちばん最初の結婚で生まれた女の子Dは、長じてからロック・ミュージシャンになりました。

B氏はクラシックのピアニストで「20世紀の巨匠」と呼ばれる存在。その娘であるDの画像をたまたま見つけて、私はその奇抜なファッションにびっくり仰天、あのB氏の長女がこんなだとはねえと最初はおもしろがっていました。

Dは自身のサイトのほかに、Dの母親I、つまりB氏の一番目の妻のサイトも運営しています。IはB氏より2才年上でオペラ歌手、そして陶芸家でもありました。Iのサイトではプライベート写真も公開されていて、B氏の当時の写真も見ることができます。仲睦まじそうな親子三人の写真がいくつかありますが、このあとの破局を思うとなかなかつらいです。

当初彼らはウィーンで暮らしていたのですが、どうやらロンドンでB氏がある女性モデル(のちに二番目の妻になるひと)に出会ってからほころびはじめたようです。そしてDが5才のときに離婚、B氏はウィーンに二人を残したままロンドンへ移住してしまいました。

このときB氏はすでに40才でしたが、それほど高名だったわけではありません。派手なパフォーマンスが一切なく、どちらかと言えば地味な演奏ですから、良くも悪くも目立ちにくかったようです。

しかし、このロンドン移住をきっかけに事態は急変します。当地でのあるコンサートのあと、突然レコーディングの依頼が殺到したのです。B氏いわく「とてもおかしな感じでした。温度計の温度が徐々に上がって、急にグツグツ音をたてて沸騰しだすような現象でした。」この沸騰以降、B氏は世界各地を飛び回って演奏活動を行なうようになったのです。

去年、私はDのインタビュー記事を見つけました。2015年にDが自分の子供時代を語っているのですが、その内容には少なからずショックを受けました。Dの母親、つまりB氏の最初の妻Iは、そもそも生い立ちからして相当な重荷を負っていたのです。Iの両親はふたりとも自殺していました。Iの弟は双極性障害、いとこたちは統合失調症などに罹患しています。IはB氏に去られた痛手から生涯立ち直れないまま、2007年に亡くなったとDは話していました。

D自身は12才のときに、母親から離されてイギリスの寄宿学校に入れられたそうです。私の憶測ですが母親の精神状態がかなり悪かったのかもしれません。Dがイギリスに来ても、B氏はツアーばかりでずっと不在だったそうです。たった12才の女の子が当時どんな思いで過ごしていたのでしょうか?

しかし、Dはこのような逆境に屈することなく、独力で自分の道を切り開いていきました。「私は独立したかったので、つねにお金を稼ぐ方法を探していました」と言い、B氏から経済的援助を受けることなく音楽活動を続けたそうで、これにも驚きました。

それにしても、B氏の華々しい名声の裏にこんな事情があったとは思いも寄りませんでした。じつは私の母がちょうどDとよく似た境遇だったのです。ですから、当時のDの状況がどれほど過酷であったかがわかるような気がします。

B氏のすばらしい音楽でしあわせになれたひとは、世界中に限りなく大勢いるでしょう。私もそのひとりです。このひとの演奏を聴いて、はじめて音楽がどういうものなのかがわかりました。

しかし、それはB氏の輝かしい「光」の部分がなせるわざでした。「影」を引き受けたのは、元妻のIと幼いD。影があってこそ光り輝くことができたのかもしれない。私はDが語る記事を読んで、あらためてなにごとも一面だけではわからず、巧妙にしくまれたバランスというものがあるのだなと思わされました。