「自己否定」に気づくのは案外むずかしい

「自己否定」をやめて、ありのままの自分を愛すれば、しあわせになれるとのことです。私が好きなカウンセラー先生がつねづねそう言っておられます。「自分を愛すること」のみに力を注げばすべての問題が解決するそうです。

そもそも「問題」とは、自分をないがしろにしているから起こるもの。自分を粗末にあつかっていると、潜在意識がそれに気づいてもらおうとして、わざわざ「問題」というカタチを取って見せてくれるそうです。

ですから「問題」が起きたときには、「ははあ、潜在意識クンが『お~い、顕在意識よ、もうちょっと自分を大切にしようね』って教えてくれているんだな」と思うのが正しいのです。

私は、自分では「すっごく自分に甘いし、ずっとサボりまくりだし、やりたくないことはやらないし、自己否定なんて縁がないけど?」と長い間思っていました。問題らしい「問題」もとくに起こらなかったように感じます。

しかし! ちょっと待てよ、そもそも「問題」の定義がまちがっていたかもしれない。なんかねえ、「とてつもなくたいへん出来事」でないと「問題」とは言えないと私は考えていたのです。

たとえば「ダンナさんからいきなり離婚を切り出された」とか「命にかかわる病気になった」とか「全財産を失った」とか、まあそういうレベルのヤツが「問題」だと思っていたのです。

で、そういうだれが見ても明らかな問題以外のことは、べつに「問題」だと意識していなかったんですよね。そうすると、私の人生、まったく問題なんかないじゃんと思っていたんです。「問題なし」イコール「自己否定もなし」と思っていました。

ところが最近、「いやいや、『問題』の定義がまちがっているかもしれない。『ちょっと困っている、引っかかっている』程度でも『問題』としてきちんと考えたほうがいいな」と強~く感じています。つまり「問題」のレベルをウンと低くして、ウンと幅広くできる限りたくさん「コレって問題じゃない?」を集めてみたのです。

するとですね、どっさり「自己否定」が見つかったんです! もうしょっちゅう自分にダメ出ししていることにようやく気づきました。ええっ?! こんなに自分を叱りつけていたなんて……かなりショックでした。

たとえば、朝たいがい寝坊するのですが「ああ、ダメだねえ、こんな時間に起きたらまたなんにもできないじゃないか!」。「寝坊=問題」ととらえるとそこにはやっぱり「自己否定」がちゃんとありました。朝ごはんを食べるのが遅いと「やっぱりグズだねえ、毎日遅いねえ」。なかなか勉強に取り掛からないと「なにやってんだよ、いつもそうじゃないか」。本を読んでわからないと「やっぱりアタマ悪いよなあ」……

なぜこういうことになるかというと、結局「理想の自分」という存在があって、いつも「理想の自分」と「現実の自分」のギャップを激しく攻撃しているからなのです。そうか、この攻撃をやめることが自分を愛するということなんだな!とやっと気づきました。

カウンセラー先生は、先日有料メルマガでわかりやすい事例を出しておられました。太っていることに悩んでいるクライアントさんに対して「毎日次のことばを百回言ってください。『私は太っていても愛される存在である。体重が減らなくても私はしあわせでいていい。体重が減らなくても私はしあわせを感じられる。』」。

ああ、コレ自分にもあてはまるよなあとしみじみ思いました。私だったら「グズでも私はしあわせでいていい。毎日寝坊して、全然勉強しなくて、本を読んでわからなくても、あらあらとってもしあわせです」とそう思えるようになればいいんですよね。

「自己否定」は他人事のように思っていましたが、細かく自分を見ていると自己否定しまくりに気が付きました。もっとていねいに自分を観察してあげることも大切かなあ。時間はかかると思いますが、これからも自己否定対策をやっていこうと考えています。

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