父の献体後火葬 その3

あっけなく父を炉のなかに見送ってしまったあとは、2階のソファーに案内された。ふつう大勢の参列者はちゃんとした控室にいるようだけど、私はひとりなのでソファーにぽつんと座っていた。

するとSさんがにっこり微笑みながらやって来て、「あれは讃美歌ですか?」と尋ねた。私が「そうです」と答えると、「じゃあ、プロテスタントなんですね。お父さまもお経よりはきれいな讃美歌のほうが喜んでおられるでしょう」と温かく気遣ってくれる。父は無宗教だったと話していたので、そんな言葉をかけてくれたのだが、行き届いた心遣いがうれしかった。

「そうそう、まずこちらをお渡ししますね」と言って、Sさんが一枚の写真を差し出した。見ると、お棺の後ろに4人の若者が並んでいる写真だった。「これはですね、解剖実習が終わったあとの納棺式のときに撮影したものです。この4人の学生がお父さまを解剖させていただきました」

え? わざわざ写真まで撮ってくれていたなんて、思いも寄らず驚いた。4人の学生……男性2人と女性2人は健康そうなくったくのない笑みを浮かべている。その若さがはじけるような表情を見ていると、ああ、父が実習のときに楽しかっただろうなと私が想像していたことは、まちがいではなかったとわかりホッとした。

Sさんは「この4人がずっとお父さまを担当させてもらいましたが、あのですね、女性のおからだを担当していたグループは、少し男性のかたを見させていただくこともありまして、それで、ほかの学生もちょっと加わっております」と律義に説明してくださる。

さらに、この4人が書いたという手紙も渡してくれた。その場で少し読ませてもらったが、和紙の便箋に手書きでていねいに綴られた感謝の手紙で、最後には4人の署名が記されていた。日付は6月23日となっていた。

そして、Sさんが「あらためて深くお礼を申し上げます。お父さま、ご遺族さまの尊いお志のおかげで、わたくしどもはこうして学ばせていただくことができます」と言って深々とお辞儀をされた。そのていねいな物腰にびっくりして「いえいえ、父は若いころから献体したいと言っていたので、ごく当たり前のことでして」と私はあわてて言った。

しばらくはSさんに、献体にまつわる話や医学生たちの生活についていろいろ聞かせてもらった。こちらの医大は特殊な組織で、その学生生活は非常に厳しいもので驚いた。全寮制で規則づくめの集団生活なのだ。けれどもSさんからは学生ひとりひとりを細やかに案じている様子がうかがえて、なんだかちょっとほほえましい。

さっきの写真を指差しながらSさんは「このコなんかとくに小柄でしょう? 来月は登山もあるし心配で」と眉根を寄せている。規律の厳しい生活といっても、それだけに同期の絆はとても強く、それに上級生も下級生の面倒見がいいらしい。

Sさんは、試験がスレスレだった学生の話とか、小さな女のコ?が制服を引きずりそうな話とかを心配そうに延々と話している。おやまあ、こんなに親身になってくれる指導者もいることだし、なかなかに居心地のいい組織なのではないかと私は思った。

入学してから大学に合わない学生は毎年数人はいて、そういうヒトはすみやかに辞めてしまうらしい。しかし、残った学生たちはほぼ脱落することなく、互いに励ましあって切磋琢磨に努めるという。Sさんはもう五十近いと思うが、そのまったく人擦れしていないお人柄からうかがう限りでは、民間企業にはない不思議なすがすがしさを感じた。

ややあってSさんは席を立ち、私はひとりぼんやりと待っていた。厳しい中でも楽しそうな学生たちの様子を聞いて、ああそうなんだ、どんな場所にいようともそれが自分に合っていれば楽しく過ごせるものなんだなと思う。

父はどうだったろう? 長い会社勤めの間、本当にイヤそうに我慢していたから気の毒だったなあ。それも家族のためを思っての忍従だったんだ。父は口数の少ない不器用なひとだったが、私たちのことを精一杯愛してくれていたんだとあらためて感じ入る。

「父の献体後火葬 その4」はこちらです。

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